2008年2月23日 (土)

(209)SMAP/MIJ

Njp_2 この写真(St.Florian,Linz)は新日本フィルの1月~2月定期演奏会で配られる小冊子の表紙を飾っているものです。今夜(2月8日)はR.シュトラウスの「英雄の生涯」を聴きに行くのですが、その前に SMAPの「世界に一つだけの花」を繰り返し聴いています。好きだからではなく、覚えないと歌えないからです。楽譜頼りに歌える曲ではないと悟って図書館でCDを借りてきました。

私たちは、合唱曲の他に 多くの人に愛されて親しまれている名曲を 男声合唱に編曲して歌っています。いうなれば 由紀さおり・安田章子の世界であり、今度のシニア会第9回定期演奏会でも、第3ステージは「中山晋平の世界」となっています。これなら苦労はありませんが 第1ステージは「ポップスに挑戦」と銘打って、SMAPの歌やら「涙そうそう」とか、「少年時代」「あの素晴らしい愛をもう一度」他などを歌うことに決めました。

日頃 日本語の抑揚・イントネーションに心を配り、詩の本質に迫る演奏を目指して励んでいる者にとっては、異質な音楽だと思うので、なんで そんな苦労をするのか?というのが今日のお話なのですが、95歳を筆頭に 70過ぎの爺さん50名が 変てこなリズムを綺麗に揃って歌えたら それだけで大笑い、傑作、大拍手ですね。アクティヴシニアの面目躍如といったところです。果たして上手く歌えるでしょうか?

 早稲田大学グリークラブが創立100周年記念曲として、ポップス界の大御所小田和正氏に作品をお願いし、昨年12月の定期演奏会(東京厚生年金会館大ホール)で小田氏の指揮により初演されました。現役は楽しそうに歌っていましたが楽譜「この道を行く」を見てビックリ、これは一寸歌えないと思いました。いうなればリズム感覚が従来のモノと全然違う、別次元のモノなのです。小田氏はもう決して若いという年には見えませんでしたが、こういう世界に生きているのだとすれば、私らもこれを克服できなければ、【若さにオサラバ人間】になってしまったのだ と思わなくてはいけないと考えたのです。 

 CDを聴いている私の部屋に来た孫5号が「お祖父ちゃん SMAP聴いてるの」と言って さらっと歌ってくれるのを聴くと、「ようーし、負けるもんか」と年甲斐も無く対抗心が頭をもたげたりしていますが SMAPでこういう感覚に馴れておいて小田氏の曲に挑戦しようというのが本音で、シニア会が現役と一緒に歌って、中年組にアッと言わせたい と心ひそかにその機会を窺っているところです。でも ここで書いてしまえばバレバレですね。

 CDの歌詞カードの裏面に何やら英文が載っていて、その末尾に次のように書いてありました。The slogan is-MADE IN JAPAN=【MIJ】

2008年1月19日 (土)

(204)素朴な疑問

Njp7  14日の成人の日に 友人が長年責任者を務めている 宗教音楽を愛する人達による演奏会が目黒のカトリック教会で開かれた。シニア会の練習日であったが、サボって聴きに行った。長い付き合いでもあり 今回で責任者を降りる節目の演奏会とあれば、こちらの演奏会にも来て戴く間柄とあって 行かないわけにはゆかない。合唱団の総員は60名程度、ソリストを含め 概ねいい演奏だったと思う。 写真 木之下 晃 「バーゼル大聖堂」 (本文とは関係ありません)

 終演後、中学からの友人3夫婦が駅の傍の喫茶店で旧交を温めた。時間が遅ければ当然一杯という所だが、中途半端な時間なので、お茶で結構喋り、また楽しかった。演奏曲はバッハを中心に、その前後に活躍したと言うH. シュッツ、G.Ph.テレマンの作品によるドイツ・プロテスタント教会音楽で この合唱団が永年追い求めてきたものであった。

 帰りの電車の中でS君が「今日のような曲ばかりで 演奏会と言えるのかな?」と言った。「お義理で来た方には、楽しい歌の一つも無い宗教音楽だけで、演奏会というのは独りよがりではないか?」ということだ。「オルガン独奏で会が始まったし、牧師さんのお説教でもはいったら、ミサかな?」と言って笑ったたが、宗教音楽大好き人間でないと,教会の木の椅子の硬さが気になる演奏会だったかもしれない。私は音楽が鳴っていればなんでもよろし という人間だから苦痛ではなかったが。

 Photo だが この合唱団はホームページにもあるとおり、もともと こうした曲を専門に歌ってきたし、今回もそのようにプログラムも構成され、本合唱団が昨年ドイツに演奏旅行に出かけ、バッハが演奏していた教会で歌ってきた曲を中心に歌ったのだから、文句が出る筋合いはないのだが、ポロッと義理コンのお客様の本音が出たのかもしれない。アンコールに一寸知ってる曲を歌ってもいいじゃない?と。それは客の言い分で そういう要望は「場違い、我慢して聴け」というのか?「演奏会の品格が下がる」というのか?S君よウチの演奏会においで、気楽だよ。「気楽坊」平櫛田中

2007年4月14日 (土)

(138) 凡人

 「心の四季」という高田三郎さんの合唱曲がある。混声合唱曲として作曲され今から丁度40年前の1967年に初演された。男声合唱曲に編曲され初演されたのは2002年である。この曲を来年の定期演奏会で歌うことになって、昨日から練習を始めた。詩は吉野 弘さん 全7曲 演奏時間は凡そ23分位になるだろう。この曲は同氏の「水のいのち」と並んで有名な曲だから 混声で聴いたことはあるが 男声合唱曲として練習するのは早稲グリのOBとしては 今回が始めてである。

 練習日の前に楽譜を開いて まず 詩を読んでみた。第1曲から7曲までザーと眼を走らせただけでは 錆び付いた感性を呼び起こすことが出来ない。昨日 歌ってみて、なるほど と初めて高田さん流の詩への接し方を感じ取った。そして翌日までも 何かのはずみに練習した1番のメロディーが浮かんでくる。新しく取り組んだ曲ということもあるが こういうことは度々無い。やはり曲がいいのだろうと思う。

0612  合唱曲として歌ってみて、独唱曲とは違うハーモニーの厚み深みを体感する。1番「風が」の最後の部分の詩を転記しよう。「雪がすべてを真っ白に包む 冬がそれだけ汚れやすくなる 汚れを包もうと また雪が降る」憎いね!高田メロディーが賛美歌的世界をつくる。我々凡人は こんな明澄な音符はつけられない。     飯田高原(大分県 九重)

 ここまで書いたところに電話が入った。随分と音沙汰が無かった高校時代の友人K君からだ。聞けば小生のブログに先日(3/24)書いた【遥かな友に】のオリジナル楽譜の依頼人が 彼の弟さんだそうだ。その事情を聞いて驚いて 奇遇を舟さんに話しているところに ご当人からも電話が入った。「失礼をお詫びします」と。世の中 狭いものですねぇ。

 作詞の吉野 弘さんは、今 埼玉県にお住まいだそうだが シニア会が昨年訪れた山形県酒田市のご出身である。今年の11月に一緒にこの曲を歌う大阪稲門グリーの会長さんが教えてくれた。その文章は「シニア会通信11号」で紹介するが ここでは「田植え頃の鳥海山」(写真MASAHIRO SAITO)を紹介して終わりとする。第4曲「山が」の詩のイメージが鳥海山であろうと先輩から教えていただいたので。Photo_30

2007年3月24日 (土)

(132)遥かな友に

 Photo_21 沈丁花の香りが漂ってくるころは風が冷たい。「春は名のみの風の寒さや・・・」の早春賦の歌詞を思い出す時期だ。この頃は また別れの季節でもある。卒業式や謝恩会などに歌われる曲もいろいろあるが、「遥かな友に」も会のクロージングの曲としてよく歌われている。合唱演奏会のアンコールにも良く歌われているが、そもそも そういう演奏会の終わり方は 我々が昭和28年に関西、四国、九州への演奏旅行で広めたものだ とまず書いておこう。作曲者の磯部 俶さんが「遥かな友に」はよく歌われる割に 印税が入らないと笑っていたことを思い出す。それはアンコール曲で歌われるので プログラムに曲名が載らないから という事らしい。この写真は1981年4月18日(土)に東京厚生年金会館大ホールで開かれた 第18回稲門グリークラブの表紙に使われた「遥かな友に」の楽譜で 本文とは関係ありません。初稿の楽譜は市販された楽譜と若干ハーモニーが違います。作曲者により改められています。

 某大学のOB合唱団から「遥かな友に」の古い楽譜のコピーを分けて欲しい との依頼があって 私のところにメールが転送されてきた。出来たら成るべく古いものがいい という。日頃集会の終わりにこの歌を歌っているので 記念誌に手書きの出来ればオリジナルの楽譜でもあれば コピーを貼り付けたい。とのご希望であった。いうなればこの歌の元祖の早稲田大学グリークラブのOBも 今の執行部は誰も知らず私のところに所在を確かめに来たわけだ。

 ワセグリ100周年記念行事の実行委員会の日に ご希望の楽譜のコピーを2部持っていってあげた。1部はご依頼を受けた某大学OB合唱団にお送りする為、もう一部は内部資料として保管していただく為だ。他の大学合唱団から言われて本家が判らないでは恥ずかしいからだ。

 その楽譜はB4の用紙左に「遥かな友に」、右に磯部さんが編曲した「蛍の光」が載っているガリ版刷りのものだ。タイトル「遥かな友に」(津久井青根)とあって、【1951:7・14.道志川畔 早大グリークラブ合宿地にて】と書いてあり、小生のサインがある。当時2年生でガリ版を切らされたのだろうが、56年もたって不細工な楽譜が 仲間でもない方々の眼に触れられるようになるとは 考えもしなかった。「何時も仕事はシッカリとやらなければならない」と 改めて教えられた。

2007年3月14日 (水)

(129)楽しむ

 004 2月の18日に私達の合唱団の指揮をしているFさんのディナーショーがあった。ロシア料理とワインを楽しみながら 歌とピアノを聴く というサロンコンサートで もう14回にもなるのだが、私ら夫婦は昨年が初めてで、今年もお話を聞いて すぐ切符を買った。

 年末などにホテルで このような形式による 有名アーチストのショーがあるが 会場が大きいので プレヤーと客とのコミュニケーションがとりにくい。チャイカコンサートは40席だから その点大変贅沢だ。もう少し響きのいい会場だったら尚いいと思うのは欲張りで プレヤーの方がよっぽどそのように思っているだろう。

 Fさんは「浪漫飛行」と題して 9カ国の歌を原語で歌った。勿論 暗譜で。そしてアンコールは超絶技巧の歌曲だった。歌も料理もワインもうまかった。また選曲もよかった。民謡や耳慣れた曲も挟んでくれていた。ピアノのKさんも上手だった。

 リサイタルで名曲を鑑賞するのも結構だが、近頃は疲れる。こういう「楽しめる」コンサートのほうが良い。そのような音楽ファンも現にいるので、新日本フィルの名曲コンサートはいつも満員だ。シニア料金もあって これが安くマチネーなので、コンサートが終わってから、軽く一杯やって食事をして帰ってくるその日が近頃楽しみになっている。

 芸人と芸術家、娯楽と芸術、歌謡曲と歌曲と対比したりするが、「楽しむ」と「鑑賞」という対比もある。極端なことを言えば、私は楽しめないものには縁が無いとして「敬して遠ざける」ことにしている。芸術云々という話にも乗らない。002個人の趣味趣向に レベルのアレコレを強要する人には近づきたくない。

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2007年3月 7日 (水)

(127)コンクール

 Photo_24 送られてきた【早稲田ウィークリー】に「(去年の)11月25日、熊本県立劇場で開かれた 第59回全日本合唱コンクールの全国大会で コール・フリューゲルが日本一の栄冠に輝き 来年の全国大会へのシード権を獲得した」という記事が出ていた。書いたのは同合唱団幹事長の田尻裕一郎君だ。おめでとう、よくやったと言いたい。

 歌った曲は「小夜の中山」と「アッシジの聖フランチェスコの四つの小さな祈り」の2曲,私は昨年 お江戸コラリヤーズの演奏会(山脇卓也指揮)で始めの曲を、次の曲は8月5日に甍会の演奏会(清水敬一指揮)で聴いた。何れもいい曲だった。この時の感想を 去年の8月7日のブログにこう書いている。

 「18名と少ない人数のコール・フリューゲルの演奏は見事だった。指揮者の技量も中々のものだ。全日本合唱コンクールで金賞を取っている指揮者にむかっての褒め言葉としては 大変失礼ではあるが、初めて聴かせていただいたので  お許し戴きたい。」

 早稲田ウィークリーの写真を見ると23名が写っている。8月から5名増えて「大学A部門(8~32人)にエントリーし、10月1日の東京大会を突破して、今回3年ぶりの全国大会進出を果たした。」とある。私らの学生時代のコンクールは、こうした人数によるクラス分けは無かった。各パート4名の16名のアンサンブルと50名の合唱と競わせるという仕組みそのものが可笑しかった。

 コンクールにでる以上は優勝を目指す。従って メンバーの粒は勿論だが、課題曲や選択曲の練習に相当の時間を割くことになる。そのしわ寄せが来て クラブの演奏活動に制約が来てしまう。いま早稲田の現役は、春に6大学、夏は演奏旅行、秋に東西4大学、年末に定期演奏会、年が明けて送別と4つの演奏会がスケジュール化されているから とてもコンクールまで手が廻らない というところだが、その方がクラブ活動としては充実しているのではないだろうか? Photo_23

手違いで本稿の開示を忘れていました。

2007年2月17日 (土)

(121)300回

 Photo_15 ある篤志家のご寄付で「シニア会の旗」紅白2対が作られた。我々シニア会の練習は 創設された時から今日まで ずーっと東京芸術大学音楽部の学生さんに指導を仰いで来た。「老いては子に従え」もいいところで、孫に従う感じの人も多い。練習場は区営のところを借りているので安いが、先生方の謝礼が必要だし,指揮者、ピアニストのお二人となれば多額になる。

 メンバーは1回の練習に千円を払う。千円払ってコーラスを愉しむという趣旨だ。年会費2千円。これは登録料という感じで当然年1回。だから 30人以上の出席がないと赤字になる。その日暮らしというような感じだが そこは巧くしたもので、仲間の指揮者(団内指揮者)が指揮棒をとるときは只だから、ピアニスト代だけで済む。そんなことでマアマア何とか運営されている。

 しかし 「ちりも積もれば山となる」の譬え通り、1回千円でも回数を重ねれば高額となる。300回出席すれば30万円を会に支払ったことになる。そこで3月18日に開かれる第8回定期演奏会のあとの 創立10周年記念の祝賀会で300回以上の参加者を高額貢献者として表彰し記念品を贈呈することにした。

 六十も半ばを越してから、十年間も神田の練習場に元気に通えた身体を呉れた親と 留守番してくれている奥様に感謝致さねばなりませぬ。神妙に「有難う」と申し上げたい。12月末までの累計で300回を越えた人は8名、最多の方は3月末で400回に達するのではないか?と思う。立派なものだ。

2007年2月 7日 (水)

(120)合唱ができるまで

 Vfsh0175  1月の26日に 渋谷の「ユーロスペース2」という144席の小さな小屋でタイトルに書いた題名の映画を見た。「天丼ができるまで」というような感じで一寸違和感のある題名だが 原画名は知らない。映画の最後にタイトルが出たのだがフランス語だから解らない。入場する前に 壁に貼ってあった「週刊うたごえ新聞」(こういう新聞のあるのを始めて知った)の記事を書き取っておいた。

 「世界合唱コンクール審査員クレール・マルシャンさんが パリ13区の始めて合唱に取り組むアマチュア公募合唱団と音楽を作っていく過程を描いたドキュメンタリー映画」(仏・マリー.トレユ監督)とあった。以前にも同じく渋谷の小さな映画館で 北欧の漁村に実在するアマチュア男声合唱団を描いたドキュメンタリーの「フィッシャーマン」という映画を見たことがあったが。

 それもこれも演技なしの素人ばかりが登場するのだから 脚本 構成がしっかりしていないと終わりまでもたない。美男美女が出てストーリーも面白い という映画なら評判にもなるが、凡そ一般向きでない映画だから 平日の昼間ということもあるが、半分ぐらいしか入っていなかった。それも殆ど初老のご婦人ばかりだった。そしてコーラスを趣味とする方々ばかりだっただろうと思う。そんな映画だった。

 応募して来たその辺のおじさん、お爺さん、おばあさん、子供たちも皆が楽譜が読めるわけではなく、声がいいわけでもない。声の出し方、発声体操 姿勢、ラテン語の発音、ミサ曲の歌詞の意味等々 眼の青い鼻の高い外国人も我々と同じ事を教わっていた。音域によるパート別から始まって 最後は 町の教会で 同じくアマチュアの小編成のオケと ソリストを迎えての本番が始まったところで幕という映画だった。

 指導者も立派だが パリの13区という所が どの位の広さの場所だか知らないので何ともいえないが、感じとしてはそう広いところではないのではないかと思う。千代田区としてこのような企画を立てた場合なら人も集まるが、外神田の住民だけでは このような企画は立てられない。私は パリは大都会といっても住民が先ず多い。そしてクラシック音楽の愛好者の比率にも相当な違いがあるのだろう と思った。やはり西洋音楽、東京の街にこのような真似は出来ない。

 大勢の人々を纏めて音楽を作り上げる。苦労の過程を見てきたが故に ハイドンのミサ曲が歌いだされた時には涙が出た。その日の夜は新日本フィルの定期演奏会なので いったん家に戻って一息入れてから墨田トリフォニーまで聴きにいったが、昼の映画のような感動は得られなかった。(上映は2月16日まで) Vfsh0176「蝋梅」長瀞 宝登山 2月3日  

2007年1月23日 (火)

(115)シニア会自主制作のCD その2

 CDのタイトルは 男声合唱による「日本の歌」(戦前・戦中・戦後)となっています。全20曲を4部にわけ、【1】日本抒情歌曲集(林 光編曲)5曲【2】激動の昭和を歌う(ボニージャックス編集)5曲【3】シニア会愛唱歌集より4曲【4】旅い寄せて(西岡 瞳編集)6曲で構成しております。

 中学時代からの友人で 高名な音楽評論家U君に推薦文を書いて貰った。 「人間賛歌」。先ず感じたのはそのことである。平均年齢70歳を超えたメンバーたちが、壮者をも凌ぐパッションを全開させ、過ぎ去った青春時代のロマンを心ゆくまでに歌い上げる。人間バンザイ、合唱バンザイ、音楽バンザイ。

 Cd3 うまいものだ。と つくづく思った。歌が上手いとは どこにも書いてない。だがなんとなくよさそうだ という感じがして買ってくれる。なんと 銀座のヤマハでよく売ってくれて、とうとう作った1000枚が完売した。その後4ヶ月位の間 CD売り場に「稲門グリークラブ・シニア会の【日本の歌】は売り切れました。」と掲示が出ていた。デジカメで証拠写真を撮って置けばよかったと 今となっては悔やまれる。(ミキサー室にて A君、T君と)

 合唱曲集のCDは沢山あるが 男声合唱の場合は 殆どが男声合唱の愛好者向きで 一般の方が聴きたいような曲集はない。また、演奏会の記録として作られたLIVE録音のものは 一般に市販されていない。もともと市販という考えがなしで作られている。稲門グリー50年の歴史にもなかったことだ。

 「70過ぎの爺さん達がなんかやってるよ」と冷ややかな目で見ている60過ぎのシニア会入会有資格者に 「どうだい」と言ってやりたい という気もあった。CDのカヴァーには 厚かましくも「枯淡の美ーアクティヴ・シニアの歌声に歴史を聴く」と書いてある。誰だ?こんなことをぬかしたのは?

記録として 収録曲を書いておきます。

【1】箱根八里・早春賦・叱られて・待ちぼうけ・浜辺の歌 【2】牧場の朝・スキーの歌・朝・椰子の実・朝だ元気で【3】惜別の歌・遥かな友に・小さい秋見つけた・見上げてごらん夜の星を【4】遠くに行きたい・いい日旅立ち・芭蕉布・北帰行・青葉城恋唄・川の流れのように 以上20曲。

                                           

2007年1月20日 (土)

(114)シニア会自主制作のCD その1

Cd_1 【シニア会CDの録音風景】 右横に座られている方は 亡くなられた楢木さん。

では シニア会が自主制作したCD「日本の歌」について書くことにしましょう。収録は2004年(平成16)5月22日と29日の2回、早稲田奉仕園のアバコスタジオで行われました。後輩のM君が こういう仕事をしているので面倒を見てもらったのです。指揮者は三ツ橋敬子さん、ピアノ伴奏は西岡 瞳さんでした。

 三ツ橋さんには1999年より2004年のこの時までの5年間、伴奏ピアニスト、副指揮者、そして指揮者としてご指導を戴きました。東京藝術大学指揮科大学院を修了され、いまはウイーン音楽大学で勉強中です。そのうちに どこかのオーケストラを引き連れて凱旋してくるかもしれません。

 西岡さんとのお付き合いは2000年(平成12)8月の昌平音楽祭からで、今年のシニア会創立10周年記念 第8回定期演奏会にも出演して戴きます。そして ご自身が編曲された「西岡 瞳編曲集」のほか、他のステージの伴奏もして頂きます。このCDにも 西岡さんが編曲された曲が2曲と、「旅に寄せて」6曲を 彼女のピアノでメドレーのように繋げて歌えるように作曲して戴きました。

Cd2 指揮をする三ツ橋さん】 

シニア会が始まった頃は 稲門グリーの補習に加えて 昔懐かしいクラブの愛唱歌が練習の中心で 1999年にハワイへ演奏旅行に行ったときは、殆どそういうアカペラ曲を歌いました。2000年3月の第2回定期演奏会から 日本の抒情歌を中心とする シニア会独自の曲目を演奏するようになって来ました。ちなみに この時のピアノ伴奏は三ツ橋さんでした。

 現役グリーが1997年の第45回定演で歌った林光編曲の「日本抒情歌集」が 音も新しく 曲の選択も良いので この曲集を軸にして 比較的平易な編曲の曲を加えてステージ構成をするという作戦を立てて 次第に歌って楽しく、聴いて楽しい曲のレパートリーが増えてきました。この時の現役の指揮者は、今年のOB4大学合同演奏会で 稲門グリークラブの指揮をする山脇君(平成10年卒)です。 

 こうして曲がたまってきたことと、三ツ橋、西岡両君の卒業、渡欧などから、台湾演奏旅行ほか数々の思い出が詰まった曲集のCDを作って、お二人の記念としよう という思いで発案しました。

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