2013年7月14日 (日)

(494)七夕

Photo 横浜稲門グリークラブの第7回定期演奏会が、7月7日神奈川県民ホール・小ホールで開かれた。梅雨が明けて、朝から陽光が眩しく湿度も高く、横濱まで出かけるのは億劫だなと思っていたところ、孫3号から「横浜あたりまでドライヴしようと思ってますので、よかったらおくりましょうか?」と声がかかった。まさにベストのタイミングなので乗せてもらうことになった。県庁の斜め横のレストランで昼食を済ませから会場にむかった。

横濱稲門は私の同期生のO君が作ったオオハラホールを練習場として1996年9月に発足した。神奈川県、横浜市に在住・在勤するOBを中心に構成し、地域の音楽祭などに出演してきた。メンバー数は29名、平均年齢74歳と団紹介に書いてあった。2001年3月にはシニア会第3回定期演奏会に賛助出演をしている。会場に着くと、O君の未亡人が駆け寄ってきて「お元気な姿を見て安心したわ 風の便りでは車椅子でオンステするようになってしまったとか 聞いていたものですから。」と声をかけてくれた。「そうなんだよ。そろそろ危ないよ」と答えたが、“悪い噂は千里を走る”やっぱり他人様にはそう見られているのだな と感じた。

 演奏の最後に指揮者が「今日は七夕なので、磯部俶さんと中田喜直さんが作られた『お母さんのバカ』から「七夕」を歌います。」といってアンコールに歌った。この曲は、当時小学校の5年生であった古田幸(みゆき)さんの詩に感銘を受けた二人の作曲家が分担して曲をつけた。オリジナルは12曲からなる混声合唱組曲だが、男声版はダーク・ダックスが初演した。私は磯部さんの指揮で混声合唱を、稲門グリーで男声合唱を歌った。詩も曲もいいので、いつか再演したいと思っている。

 磯部さんの呼びかけで始まった「いそべとし合唱団」がまだ初期の頃、カナダのバンクーバーへ演奏旅行に行った。現地の女声合唱団「さくらシンガーズ」とのジョイントコンサートを持ったのだが、その時の合同演奏でこの曲集を歌った。曲には歌詞を解説するために、みゆきさんの語りが所々入っているので、曲の進行に合わせて挿入しなければならない。女性のアナウンサーの語りでも良いのだが、磯部さんが拘って「君のところは女の子ばかりだそうだが、小学生の子がいるかい?」と訊かれた。「4年生の子がいますよ」「それはいい。ナレターをやってもらおう。」ということになって私の家でテープを作った。テレビを消して家族一同静かにして録音している最中に救急車の“ピーポー・ピーポー”の音が入って中断したりして大笑いしたことを思い出す。

Photo_2 「今夜は七夕、また雨空。七夕ってどうして何時も晴れないのかしら、夢でもいいからお母さんに会いたいと思って、隣のせっちゃんの笹に『お母さん』と書いて短冊を下げた。」と こんな歌詞だったと思うが、七夕は本当に曇りや雨の日が多い。子供の頃、折り紙を短冊に切って笹の葉に結び願い事を書いて下げ、2階の軒先に立てたりしたことがあったが、今はテレビなど暇つぶしの機会が多くなって、そうした遊びを家庭ですることが少なくなったように思う。だが街角の商業施設や人の集まるところに七夕飾りを見かけることも多くなった。私が週に一度お世話になっているリハビリデイサービス神田でも壁面に絵心のある若いスタッフが七夕を描いてくれた。「幼稚園みたいだね」と言ってしまったが、嬉しい心配りではある。
「笹の葉サラサラ軒端に揺れる お星様キラキラ金銀砂子 五色の短冊 私も書いた お星様キラキラ 空から見てる。」

2013年7月 7日 (日)

(493)現役4連

Photo OB4連の翌週すみだトリフォニー大ホールで現役の第62回東西四大学合唱演奏会が開かれた。その日はシニア会の練習があったので、中途退席してホールへ向かった。会の進行はOB4連と同じで、先ずエール交歓のステージがあり、その後各校単独の演奏を終えてから合同演奏となる。関西学院76名、早稲田55名、同志社49名、慶応44名の都合220名余の大合唱である。演奏曲は千原英喜作曲の「おらしょ」であった。3楽章からなるアカペラの曲でありながら、途中で音を取りなおすことなく歌いきったのは立派だった。この曲を先日のOB4連で同志社クローバークラブが歌っているが、その時はどうだったのだろう。

 単独演奏について書くと、4校とも日本人の作曲家による作品を取り上げた。偶然そうなったのであろうが、演奏が終わるとその都度作曲家が紹介され拍手を受けた。関学が演奏した鈴木憲夫、早稲田が歌った新実徳英、同志社が取り上げた高嶋みどり、慶応が委嘱初演した加藤昌則の四氏がそれで、こんなことも珍しい。各校とも母校の名誉をかけて演奏し、指揮者も懸命に振っている様子がよく判った。だが夫々大曲なので、聴いている方も疲れる。

 再び合同演奏に話を戻すと、我々が現役の頃は自分達のステージを仕上げるのに精一杯で、合同演奏に大曲を暗譜で歌う余裕はとてもなかった。だから各校の持ち歌を一緒に歌ったり、各校とも歌ったことがある名曲を取り上げて、お茶を濁していたから、最近のように充実した合同演奏を聴くと感心する。どうか このいい習慣を続けていって欲しい。

 最後にエール交歓で感じた印象から各校のメンバーリストをチェックしてみた。すると関西学院は76名中32名が2年生、早稲田は55名中12名が2年生、同志社は49名中2年生が20名、慶応は44名中23名が2年生と1年生であった。その関係があるのだろう早稲田を除く3校の声がOB4連に比べて幼く聴こえ不満であった。逆算すると3・4年生の数は関西学院が44名、早稲田が43名、同志社29名、慶応21名となる。この数字をどう見るか?

2013年6月30日 (日)

(492)OB4連

Img005 6月26日から読売新聞の朝刊「時代の証言者」欄に小林研一郎が登場した。何回の連載になるのか判らないが暫くの間楽しみだ。小林研一郎は高名なマエストロで、今更その経歴を書くこともないので省略するが、たまたま3日前の23日に氏の棒で歌ったばかりなので、余計その感が深い。その日 タイトルのOB4連が池袋の東京芸術劇場コンサートホールで開かれた。東西の四大学が一同に会して歌う男声合唱の演奏会で今回が19回となる。2年に1回の開催なので38年の歴史を数えた。472話(2月10日)「水のいのち」に詳しく書いたので重複を避けるが、いま その余韻に浸っているところだ。

  会は4校のエール交歓から始まる。今年は舞台下手の端に整列した同志社大学のカレッジソングから始まった。歌詞は英語だがドイツの歌なので、これぞ男声合唱という感じで良く響く。早稲田は上手の端なので、「いよいよ始まったな」と客席にいるような気分で聴いている。次は慶応義塾の塾歌で、信時潔作曲のこれもいい歌だ。3校目は関西学院大学のA Song for Kwansei が英語で歌われる。山田耕筰作曲と聞いている。次は早稲田。一番はユニゾンで歌いニ番で合唱にする という歌い方をしている。編曲は山田耕筰。どうしてこういう歌い方をするのか については別の機会に書くことにしよう。

  現役の学生による東西4大学による合同演奏会は、今年62回目となり6月末に開かれる。現役は毎年開催なので、私も大阪の第1回と東京の第2回を経験している。OB4連が開かれるようになってからも、幸い健康と時間に恵まれ継続して参加することができたが、前回は80歳にもなったことだし、そろそろ潮時かな と出演を諦めたが、今回は早稲田は当番校でもあり、小林研一郎が振るとあって,引っ込んだお化けがまた現れた。私は最高齢とあって最前列に並ばせて貰った。卒業年次の古い順というわけではないようだが、シニア会のメンバーが概ね第1列に並んだ。だが単独のステージは5列目で山台の登り降りが大変だった。

  早稲田の校歌を歌いだして直ぐ、気分は学生時代に引き戻される。だが今回が最後と思っていたせいか、思わず涙腺がゆるんできて泪を落としそうになった。思えば62年、時の経つのは早く人生は短い。

  「水のいのち」の演奏は良かったと思う。オンステメンバーが140名と多く、練習も充分積み、指揮者が演奏効果を高めようと編曲の領域まで踏み込んでいたからだ。若い卒業生も数多く参加してくれたので、長江のような大河をゆっくりと下る舟に乗って静かに歌っているような感じで楽だった。演奏会終了後、聴きに来てくれた女房も娘も異口同音に「凄い演奏だった。」「こんな『水のいのち』は初めて」と興奮していたし、25日にお会いしたSさんも「感動しました、泪が出たわ」とお世辞抜きで褒めてくれた。また 当日客席で聴いたシニア会のN君からは「圧倒的に素晴らしい演奏だった。」というメールが届いた。

Img004 早稲田を最後に各校の単独演奏が終わり合同演奏となる。400人ものオンステなので私は出ずに荷物をまとめ打ち合わせの場所で女房を待った。本来ならば、それから打ち上げ会場に直行し、大阪から参加したOBや他校の旧友と杯を傾けるところだが、疲れてもいたし、病気の進行が速く左手が不自由になり、足許もおぼつかないことから、周りの人に迷惑をかける恐れもあるので諦めて、ホール前のライオンで3人だけのささやかな打上げをして帰ってきた。ところで、来る9月22日(日)にサントリーホール午後2時開演で稲門グリークラブ演奏会が開かれ、この演奏を再演する。他に三木 稔作曲の「レクイエム」も歌う。S席4000円、A席3000円、B席2000円と、ちとお高いが“歌好き爺さん”最後の雄姿?を親族に見せたいと思っているので、それまで体調維持に努めたい。

2013年3月24日 (日)

(478)桜咲く

P3222016  今年の開花は早かった。例年になく寒い冬だったので、梅の開花が遅れ桜も遅くなるだろうと思っていたら、3月に入ってから良い天気が続き、観測史上最も早い開花となり、都心では22日に満開の情報がでた。千代田区のさくら祭りは月末の29日から始まると20日付けの広報に出ていたが、こんなに早まってしまっては各方面に影響も出て、旅行社などもツアーの実施が不能となる事態を招いているようだ。さくらコンサートは例年昌平小学校の卒業式がすんでから開くことにしているので、今年は花が終わってからの開催となってしまった。

 小学校のご近所の方が普段着で気楽に聴けるワンコインコンサートとして始めてから6年になる。日頃練習している会場で、成果をご披露するのだが、私達だけの発表会では魅力に乏しいので、毎回ゲストにプロの音楽家を招いて演奏して戴いている。第1回はソプラノ独唱とピアノ独奏、第2回はヴァイオリンとピアノの独奏、第3回はクラリネット独奏、第4回は東日本大震災のため中止、第5回は女声アンサンブルにご出演戴き、幸い好評を得ている。今回は彩 愛玲(さい あいりん)さんのハープ独奏が特別ゲストに決まっている。

Img001_2   彩 愛玲さんは台湾人の声楽家の祖父と日本人のピアニストの祖母という環境でピアノを学びながら、14歳でアイリッシュハープ、翌年グランドハープを始め国立音楽大学在学中はコンピューター音楽にも積極的に取り組み、更に東京芸術大学別科で研鑽をつみ、2007年にはCD「花一輪」をキングレコードからリリース、翌年、東京文化会館小ホールの初リサイタルではニ胡のチェン・ミン氏を招き大好評を得ました。来る5月7日には夜7時から同じ東京文化会館小ホールで、パーカッションのクリストファー・ハーディさんとの「古代の光が照らす夜」と題するジョイントコンサートが予定されている。全席指定で入場料は4000円です。

 コンサートは昌平コールアブサンズの混声合唱に始り、シニア会が愛唱歌6曲を歌い、団員居並ぶところで千代田区に「さくら基金」へのチャリティ募金の贈呈を行い、区側からの謝辞を頂き第一部が終了。第二部は特別出演のハープ独奏から始まり、シニア会が林 光編曲による日本抒情歌曲集として6曲を歌い、アンコールにハープ伴奏で「遙かな友に」を歌うことになっている。

 地域の若い方々のご協力で会場の設営から進行、受付から下足番まで一切をお願いして毎年開演してきたが、入場料がわりのワンコイン以上の“お気持”を全額寄付をして、その総額は51万円を超えた。「流石に神田の人達だ」と鼻が高くなる。シニア会は、会員も団もそれ相応の負担をしているが、元気で社会貢献の真似ごとが出来るのは嬉しいことだ。

 選抜高校野球が始まった。いよいよ春だ。

  

2013年1月13日 (日)

(468)半世紀

2_2  今年はワーグナーとヴェルディの生誕200年だという。片やドイツ、他方イタリアに生まれ、ともにオペラ作曲家として音楽史上巨大な足跡を残した。二人が生まれた1813年はナポレオンがロシア遠征に敗れ、二人が活躍した1848年頃はヨーロッパ各国で革命が起きた。だが音楽史上では最も華やかな時代であったと言える。日本は江戸時代後期で、1853年にはペリーが浦賀に来航し幕末の幕が開かれた。ちなみに 今年の大河ドラマの主人公新島八重が生まれたのはワーグナー達が38歳頃のことだ。一方文化・文政の爛熟期で歌舞伎や庶民の娯楽が花開いた時代であった。

 今年の第56回NHKニューイヤーオペラコンサートはこの特別な年の始まりを告げる一夜として二人の曲が多く取りあげられた。先ずヴェルディのオペラ「ナブッコ」から有名な合唱「行け、わが思いよ、金色の翼に乗って」から始まった。イタリアの人々から「第二の国歌」として親しまれているそうだが、私もこの旋律は大好きだ.。新国立劇場合唱団27名、二期会合唱団27名、藤原歌劇団合唱部27名の計81名からなる大合唱だが、プロの声は流石に違い素晴らしい演奏だった。

 豪華なセットをバックに、現在の日本を代表する名歌手27名が集って競う2時間は短い。年末の紅白歌合戦を生で見たことはないが、このコンサートは毎年聴くようにしている。従って名歌手の盛衰もよくわかる。今年は藤村美穂子がトリをとったが、出演順や演奏曲の決定は誰がするのだろうか?といつも思う。テノールでは福井敬が市原多朗に代わって連続して出演しているが、声の艶が褪せてきたような気がした。今年はコルンゴルトの歌劇「死の都」からマリエッタの歌「私に残されたしあわせ」という曲を初めて聴いた。木下美穂子の歌唱だったが流麗なメロディでもう一度聴いてみたい。指揮は去年に引き続き下野竜也。

 始めて聴きに行ったのは神田共立講堂で行われた第6回の1963年で、その頃はまだNHKホールがなかった。その時、早稲田で共に歌っていた岡村喬生が初出演したので仲間と大勢で聴きに行った。それからもう半世紀にもなる。彼は翌年の第7回にも出て暫く休み、1973年の第16回から1988年の第31回まで15回連続して出演し、1992年の第35回が最後であった。だが昭和38年から平成4年まで30年の長期に亘って出演した歌手はいない。素質と努力、摂生と奥様の協力で彼は成功したが、私達も音楽を趣味に持って幸せだった。私の学生時代からの友人がシニア会の定演を聴いて、次のようなお便りを下さった。お許しを得て下記にご紹介する。    「心に響く、いい演奏会でした。」

 みんな頭髪に霜を置き、舞台を踏む足元がおぼつかなくなっても、一旦壇上に並ぶと心は学生のままーー。「コーラス命」のメンバーが半世紀以上歌い続け、シニア会創立15年記念の演奏会をひとしお感銘深く拝聴しました。
 「柳河風俗詩」ヤマケンさんの棒には故郷への思い入れがたっぷり感じられました。しかし、シニアには難曲のようで、各パートが必死で挑戦されたであろうことがうかがえました。とは言っても昔取った杵柄に、人生の味もこめた仕上がりに、拍手が響き渡りました。
 「美空ひばり名曲集」は、シニアの十八番に3曲を加えての演奏。万年青年耕納さんの指揮は、西岡さんの名編曲でシニアを乗せ、歌う人も聴く人も楽しませていただきました。
 「花に寄せて」は万人に愛されている星野富弘さんの詩から新実徳英が作曲されたとのこと。お若い指揮者原田さん、伴奏のピアニスト谷本さん、いずれもこの曲の美しい情感をそのまま合唱に注ぎ込み、三者一体泣きたくなるほど感動的にしめくくって下さいました。
 30年卒の同じシニアの私にとって、この演奏会は年一度、昔の学生服姿の先輩や仲間たちとの無事を、お互いに確認し合う楽しみな場でもあります。
 いいですね。半世紀以上昔の仲間とハモリながら人生を謳歌してこられてーー。「稲門グリークラブ・シニア会万歳!!」 富永孝子                                                               

2012年9月22日 (土)

(452)第15回昌平音楽祭

Photo この夏、最後の贈り物!

 今年も8月26日午後1時から、音楽祭が開かれた。例年に増して厳しい暑さが続く頃であったが、14団体が参加して賑やかな会となった。第1回が開かれたのは平成10年8月29日、それから毎年夏の最終日曜に開かれている。会場は昌平童夢館2階多目的ホール、日頃この施設を利用している団体が集って研鑽の成果を発表し、共に楽しもう という趣旨で、私達シニア会が呼び掛けて始まった。孫4号が昌平小学校の金管バンドでトランペットを吹いていたので、お祖父ちゃんと孫が一緒のステージに乗るのも微笑ましいし、子供達も出演の機会が増えて嬉しかろうと思ったからだ。

 その時の出演団体は6団体、主催は昌平コミスク運営委員会ということになっているが、委員会はこうした催しが初体験だったから、企画運営は全てシニア会が引き受けた。今では手際が良くなって、何も手を出すことがないけれど、その日は音楽祭の司会、進行、打ち上げ会の気配りなど全部私が引き受ける羽目になり大変だった。翌年からは娘2号が所属しているPTAコーラス「コール・アブサンズ」を巻き込んでバトンタッチをお願いしたから楽になった。

 シニア会の出演者は34名、指揮者は大井剛史さん、無伴奏の曲ばかり8曲も歌った。出演団体が少ないので時間に余裕があり、その年の4月に始めたシニア会は練習した全ての曲をご披露した。歌い終わって、すぐ会場を片付け、その場で懇親会を開くように企画した。

 第2回は43名が出演して歌った曲もレベルアップしたが、指揮者が山田和樹、ピアニストが三ツ橋敬子という 今となっては信じられない豪華な組み合わせで演奏した。山田君は今年のサイトウキネンフェスティバルで、小澤征爾に代わってオペラの指揮を取り、三ツ橋さんの活躍についても先日444話で書いたばかりだが、その頃は二人とも東京芸術大学指揮科の学生さんだった。夫々出世して雲の上へ飛んで行ってしまったけれど、それはそれで嬉しいことだ。

Photo_2  今回は5団体づつ3部に分けて10分間の休憩をはさむ流れで、神田一ツ橋中学校吹奏楽部の演奏から始まった。第2部のはじめに出演者全員で、昌平音楽祭15回の記念合唱として山本瓔子作詞、八木澤教司作曲の「明日という日が」という歌を、出演団体のクレージーエンジェルスが演奏するブラスバンドの伴奏で歌った。昌平金管バンドの小学生67名も加わって大合唱となった。この曲は2006年に作られていたが、この度の東日本大震災によって、福島市で開かれる予定の声樂アンサンブル全国大会が中止となり、出場が決まっていた仙台市立八軒中学校の生徒が、被災された方々のためにコンサートを開いて歌った映像がテレビに流れ、年末恒例の紅白歌合戦でも歌われたことから一躍有名になった。ユーチューブで聴けるし感動的な映像も見られるので是非見て戴きたい。励まされる歌です。

Photo_3 「明日という日が来る限り自分を信じて・・・」と歌は感動的に盛り上がるが、ふと気がつくと、平均年齢が78歳にもなる合唱団が「明日という日がある限り幸せを信じて」と歌って「可笑しくはないかい?」と聞きたくなる。左様、子供や孫と一緒の舞台に乗って、多くの友人と好きな男声合唱を歌っていられるのは誠に幸せなことなので、手足が多少不自由なくらいは何とかしなくてはと思い、楽譜を見ないで歌えるよう練習に励んだ。これからの本番は全て暗譜しなければならないからボケてなんかいられない。

 シニア会のアンコール「昌平小学校校歌」を最後に演奏は終わり、出演者全員がステージにのってお客様と一緒に小学唱歌「ふるさと」を歌う。これも毎年のことで会場の皆さんと一体感に包まれて終演となる。それから会場を素早く片付け、交流会に早変わり。早速乾杯となる。会費千円では心細いので、シニア会は大瓶ビール60本を寄付、年長のメンバーは一升瓶数本を寄付、早々に大宴会となった。それから各団が余興を披露して終宴、全員が輪になって肩を組み手をつないで「遙かな友に」を大合唱、主催者代表の挨拶が終わると全員で片付け、掃除を終えて解散となる。それから2次会となるのだが、シニア会の老人はとても付き合いきれず引き揚げた。今回出演したメンバーは28名、少し人数が減って淋しかった。

 「明日という日が」という歌は被災地への応援歌として歌われているといま書いたけれど、私は老人達への応援歌でもあるような気がする。
 「いま 生きていること 一生懸命生きること なんてなんて 素晴らしい」
とユニゾンで感動的に歌いあげ、「明日という日が来る限り 自分を信じて」と続く。寿命尽きるまでこの素晴らしい人達と音楽祭を続けて行きたい。

2010年4月24日 (土)

(327)天才・鬼才・異才

News_week1 ニュースウィーク日本版 2009/7・8 マイケル・ジャクソン追悼特集号

「世界が尊敬する日本人」として「文化の壁を越え 異国で輝く天才・鬼才・異才100人」と表紙ある。その44ページに「北野 武・熊坂 出・三ツ橋敬子・水野由康・長井健司・長嶺義宣」の6氏の簡単な紹介文が載っていた。三ツ橋敬子さんの項を書き写す。

「指揮者。08年、イタリアのアントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールで最年少優勝。女性としても、日本人として初めて。」

 私は この雑誌を手にしたことがないから、このような記事が出ているのを知らなかったが、グリーの友人にも読者が少ないのかも知れない。こんな記事を読めば、私に知らせぬ筈がないからだ。本人が照れながら「こんなところで紹介されて・・・」と雑誌を見せてくれた。

 三ツ橋さんの国際指揮者コンクール優勝については245話(08・10・18)で書いた。彼女はそのご褒美で、ヨーロッパのあちこちのオーケストラを指揮して忙しいらしいが、この度 出身地の江東区が応援してくれて、ティアラこうとう定期演奏会でラロのスペイン交響曲とメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」その他を振ることになった。オーケストラは東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、ヴァイオリンは同じく江東区出身の小野明子である。

Mitsuhashi21

東京シティ・フィルのホームページをみると、1975年に創設され、定期演奏会は東京オペラシティを会場とし、主として飯森泰次郎、矢崎彦太郎の両氏が振っている。今年は創立35周年記念として、ベートーヴェンの交響曲全曲演奏が第239回の定演から始まる。

ティアラこうとう定期演奏会のシリーズは今回が22回目で、「江東区出身の才媛同士の共演」とあった。同フィルは「地域に根差した音楽文化の振興を図るため江東区と提携を結んでいる」と解説にあった。

 私が定期会員になっている新日本フィルハーモニー交響楽団も、すみだトリフォニーホールを根拠地とし、墨田区の区民のための演奏会やメンバーによる学校などへの出張演奏会などを重ねている。三ツ橋さんの先生の松尾葉子さんも、墨田区のジュニアオーケストラの指導をされている。

 先日シニア会の練習に顔を出してくれて、アフターコーラスの飲み会に付き合ってくれたので、久しぶりに楽しい時間が持てた。3日後にはミラノに帰ると言っていたが、娘が出世したような気持ちがして嬉しい。どんどんと羽ばたいて行ってほしい。この演奏会には大勢で聴きに行くよと約束した。

 三ツ橋さんは2000年(平成12年)に大井剛史さんの伴奏ピアニストとして、東京芸大1年生の時にシニア会とのご縁ができた。その後 2004年の第6回定期演奏会まで数多くの演奏会を指揮して頂いた。この間 台湾演奏旅行とか、CD「日本の歌」の制作とか 色々な思い出を残し、ヨーロッパ修行に旅立って行った。結果を出してくれて ご両親も嬉しいだろう。親孝行が出来て良かった。

 参考までに北野 武の紹介文を書いておこう。

 タレント、映画監督。弟子であるタレントのゾマホンを通じてベナンを支援。今年は1人1万円の寄付でベナンの子供の昼食代1年分を負担する「ぼくたちにお昼ご飯おごって呉れませんか?」プロジェクトを開始。ベナンには既に「たけし小学校」や「たけし日本語学校」が建設されている。 ふ~む凄い!

2010年4月 3日 (土)

(324)感動のコンサート

Photo_2 東京オペラシティ文化財団主催による「ウィークティ・ティータイム・コンサート10」がひと月前の3月3日、 東京オペラシティコンサートホールで その名の通り水曜の午後2時から開かれた。驚いたことに会場は超満員の盛況だった。

 平日の午後なのに凄いなぁとあたりを見回す。私は女房と行ったのだが 中高年の女性客が多かった。私の周辺には 一人でおみえになった方もいたようだったが、開演前の賑やかな喋り声から判断すると、団体で聴きに来た人が多数いるのではないかと思う。それも合唱団員が。(しゃべり声が大きい)私も友人からこの催しを聞いて、チケットぴあに走ったのだ。席は26列と後ろのほうだったが、既に良い席はなかった。完売とは凄い!

 演奏は山田和樹指揮する東京混声合唱団と東京交響楽団、曲は團 伊玖磨の混声合唱組曲「筑後川」と佐藤 真のカンタータ「土の歌」がメーンで、オーケストラの伴奏版であった。昔私が歌ったのは、勿論ピアノ伴奏であったから 何時かオケ版で聴いてみたいと思っていたので 念願が叶ったというわけだ。

 「筑後川」は1984年(昭和59)東京厚生年金会館大ホールで 山本健二指揮により歌った。稲門グリークラブの第20回定期演奏会で、桜楓合唱団と桜友女声合唱団に賛助出演をお願いし、わがクラブの定期演奏会としては初めて 混声合唱のステージを持った。それぞれ日本女子大と共立女子大のOGである。ピアノ伴奏は出口真紀子さん 堂々の風格をもった伴奏だった。第4曲「川の祭り」の最後に「ばん ばん ば、ばん ばん~~」と歌い終った時の残響の心地よさを今も忘れない。

 「土の歌」は1979年(昭和54)2月の第16回定期演奏会と7月の第2回東西四大学OB合唱連盟演奏会で歌った。会場は東京厚生年金会館大ホールと京都会館第一ホール、指揮は山本健二、ピアノ伴奏は萩原照彦であった。この時は指揮者が編曲をT君に依頼した男声版であった。佐藤 真さんの許しを得ずに編曲したらしい と最近になって知ったが、現役の早大グリーが2008年に先生を口説き落として、作曲者自身による男声版が出来、東京厚生年金会館大ホールで 指揮岡本俊久、ピアノ高橋裕子により初演、楽譜はカワイから翌年出版された。

 「土の歌」の初演は1962年、合唱 東京混声合唱団、オーケストラ NHK交響楽団、指揮は岩城宏之であった。私は その演奏テープを聴いて何時か生で聴いてみたいと思っていたし、当時 ショスタコーヴィッチの「森の歌」が流行っていたから、混声合唱をやるとすれば、こういった曲を歌いたい と思っていた。

Photo 「筑後川」の終曲が「フィナーレをこんなにはっきり予想して・・・・」と歌いだされて、思わず涙が溢れ出たが、「土の歌」でも第6曲「地上の祈り」の合唱が弱音で終わり、オーケストラの最弱音から終曲の有名な「大地讃頌」のメロディーを 女声が弱音で「母なる大地のふところに・・・・」と歌い出すと、もう涙が止まらくなってしまった。

 旋律が男声に移ると、チェロが表情豊かに歌い、コントラバスのピッチカートが合唱を彩る。まさに ピアノ伴奏では味わえぬ音と深みであった。素晴らしいの一語に尽きる。この文章を書いている今でも涙が出てきて画面が滲む。

 感動の拍手が鳴りやまず ついに終曲「大地讃頌」を会場の皆さんがオーケストラの伴奏と歌うアンコールとなった。女房も私も大満足で、たまたま会ったO君、k君と会場下の英国風パブHUBに入り、美味しいビールを飲んで感動を分かち合った。

 運よく 出演した合唱団の方がグループで隣の席にお見えになったので、厚かましくお尋ねした。「山田君の練習は何回ぐらいしたの?」「さぁコーラスだけでは2回ぐらいだったかしら?それとオケとは2回ほど」 さすがプロ合唱団!凄い!

 指揮者の山田君が国際指揮者コンクールに優勝して、このように出世をしたのも嬉しいし、シニア会の指揮者でもあった というのも鼻が高いと、ビールをお代わりして話し込み、 余韻を楽しんだ。いい雛祭りの午後だった。

2010年3月20日 (土)

(322)第3回さくらコンサート

Docu0003 前回の「童謡」を書くについて、読売新聞文化部編集による「唱歌・童謡ものがたり」(岩波書店刊)を書棚から出して、頁をめくっていたら次のような文章があった。「童謡や唱歌は 母に象徴される懐かしい思い出と結びついている。歌によっては、あるいは古里(ふるさと)と言っていいかもしれない。」(乳井昌史)

 また 「子どもたちをめぐる環境が厳しい時代だからこそ、親と子の世代が唱和する歌が求められているのではないか。」(同上)とも書かれてあった。

 だからというわけではないが、来週の27日に開かれる第3回さくらコンサートで私達は「懐かしい日本の歌」として、シニア会のために編曲して頂いた曲集の中から5曲を選んで歌う。あとの1ステージは「詩人の肖像」で、これについては319回で書いた。当日のメーンゲストはクラリネットの大橋佳世子さん。友人の娘さんなので格安の謝礼で出演をお願いした。

 このコンサートは原則無料だが、お客様に千代田区のさくら基金へ500円以上のご寄付をお願いし、その全額を区にお納めする というキマリになっている。だが ゲストの出演料、シニア会の指揮者、ピアニストの謝礼、ポスター、チラシ、プログラムの制作費など一切を私たちが負担しているので結構な出費となる。

 しかし この歳になっても好きなことで、ささやかではあるが社会のお役に立ち、関係の皆さん方に喜んで戴けるのであれば、これが本当の“道楽”というものであろう と2年前から始めた。会場及び控え室、練習場、諸設備の使用料が無料となっているのが有難い。毎年3月の最終土曜日開催と決めて始めた。初回より2回目の方が入りが良かったが、今年はどうだろう?

015 千鳥ヶ淵2009年 当日のプログラムにこんな挨拶を書いたので転載する。

 本日は 千代田区のさくら再生事業に協力する「さくらコンサート」にご参加下さいまして 誠に有難うございました。心より御礼申し上げます。

 お蔭さまで 本コンサートの開催は3回目を迎えることとなり、募金額も20万円を超えました。そこで、地元住民の参加による、住民のための ささやかな本コンサートが、「千代田区の事業の進展に大いに寄与した」として昨年3月に、石川区長より表彰を受けました。有難うございました。

 若い音楽家に演奏の機会を与え、元気な若者と高齢者の合唱を、昌平小学校の児童、PTAの皆様とそのご家族に 普段着で聴いて戴くコンサートとして、今後とも続けて参りたいと考えておりますので、暖かいご支援を下さいますよう 何とぞよろしくお願い申し上げます。

 「日本の懐かしい歌」のステージは永年歌いこんでいる曲ばかりで、今回は 年配のお客様向きに構成した。♪山小舎の灯、♪津軽のふるさと♪鉾をおさめて♪しゃぼん玉♪長崎の鐘の5曲、アンコールは♪東京ラプソディーを予定している。若い人は殆んど知らない歌ばかりだろうから却って新鮮かもしれない?

 あちらこちらで歌っているが、23日にも共立講堂の千代田区高齢者芸能大会で、ゲストとして出演し この曲集を歌う。ここではギャラを頂戴するが、区高齢者センターからの依頼なので 薄謝で協力することにしている。千代田区の各所からバスで送り迎えをしてくれるから、大勢の参加者があるらしい。

 共演団体があって、それは共立女子大のチアリーダー部。この催しのチラシには「フラッシーズの皆さんによる魅せる演技をお楽しみください」とあった。ピチピチしたお嬢さん方の演技だから、爺さん合唱団ではとても敵わない。だから この際 私たちも眼の保養をさせてもらおうと思っている。

 参考までに我々のキャッチフレーズを書くと「若い時の男声のハーモニーの魅力をもう一度と願って、懐かしい歌をお送りします」誰の文案だろう?正直に過ぎると思うのだが。

2010年3月13日 (土)

(321)童謡

Photo 米田共人さんの写真から「マキノ」 沈丁花の香りが漂ってくるようになったが、まだまだ寒い日が多い。このところ雨の日が続き、一層そのように感じていたが、やっと気温が上がってきて 春の訪れが近いと思えるようになった。

 前回、童謡「赤い靴」について書きながら、ふと思って娘3号に訊いてみた。「今の子が歌っている童謡ってどんな歌?」「さぁ 歌っているかしら?」「“さっちゃん”とか“ぞうさん”とか歌っていないかい?」「私はたまに歌ってやることもあるけど、みんな知らないんじゃない」「それじゃぁ“おすもう熊ちゃん”とか“つりかわくん”とかは?」「なあに それ」といった具合だった。

 「赤い靴」のような古い童謡ではなく、新しい童謡と思っていた歌を挙げてみたのだが、小学生の子を持つ母親が知らない。「それじゃぁ何を歌っているんだい」と訊きたくなる。「テレビのコマーシャルソングかな?歌らしい歌はないようだけど」「贈る言葉とか、世界に一つだけの花かなぁ」「それは童謡じゃぁないだろう?」そんなやりとりがあった。

 中田喜直さんや大中恩さんが 磯部俶さんらと「新しい童謡の会」を立ち上げて、いい歌を沢山作ってくれたけれど、今では テレビから流れてくるのはNHKの「みんなのうた」の僅かな時間以外、子供向きの歌番組がないようだし、親も子供と一緒に歌うとか 聴かせようとは思っていないのではないか?

Photo_3 鏑木清方「明治風俗12か月」押絵羽子板絵葉書「長夜」昔は テレビがなかったし、ラジオも一家に一台が普通だったから、家族みんなで同じ番組を聴いた。ラジオドラマには主題歌が必ずあり、歌番組も多かったのではないだろうか?子供向きの番組もあって、夕方には「鐘の鳴る丘」とか「笛吹き童子」のメロディーが流れてきた。テレビになっても暫くは 主題歌が歌われていたが、今はアニメにその名残りがあるだけのようだ。

 昔は 親子が一緒に歌える歌も多かったし、母親は大概家にいたから その機会も多かっただろうが、今は務めに出ている母親も多いから 一緒に歌ってやれるのは、お風呂に入った時だけ というようになってしまったのかもしれない。私達は そのような環境の中で、唱歌や童謡でいろいろなことを学び、身につけたような気がする。教訓的な唱歌も多かった。

 5月に松江に演奏旅行に行くので、ついでに出雲大社に参詣する。出雲大社といえば大国主命、といえば“大黒様”を思い出す。“だいこくさま”といえば「因幡(いなば)の白兎」のお話で、「大きな袋を肩にかけ・・・・・」と3番まで今でも歌える。「……兎はもとの白兎」で終わるのだと思っていたが4番まであるとは知らなかった。

 と こんなことを女房に話したら、彼女も知らないという。それでは演奏旅行に参加する平均年齢75歳の我がシニア会のメンバーの話題にもなるだろう と会報の原稿に4番まで歌詞を載せた。作曲は田村虎蔵、作詞は石原和三郎である。

 「だいこくさまは だれだろう、おおくにぬしの みことにて、くにをひらきて よのひとを、たすけなされた かみさまよ。」これでは今どきの学校で歌わせる筈がない。当時としても面白くない歌詞だから、綺麗に忘れてしまったのかも知れない。お話としては「嘘をついたらひどい目に遭うんだよ」という教訓を、神話の世界から学ばせたのだと思う。

 だが 昔はどこの家庭でも母親が子供に歌を唱ってやったものだ、と言ったら嘘だろう。子守歌ぐらいは聞かせてやったかもしれないが、歌が好きな母親ばかりいるはずがないし、父親が童謡などを歌って遊んでくれた覚えのある人は少ないだろう。私の母は時々歌ってくれたような気がするが、明治の父親が童謡など歌ってくれる筈がない。私は昭和生まれの「歌好き爺さん」だから、夜 一緒に寝て、歌ってやったりしたように思うし、結構自分でも楽しんでいたように思う。

 私の兄弟が育った頃は「音羽ゆりかご会」の全盛時代で、川田正子、孝子が活躍して、「月の砂漠」とか「みかんの花咲く丘」などがよく歌われていた。子供の時代になると、長女の頃はテレビの「歌のおねえさん」が歌う曲が主流だったが、末娘の頃は「マザーグース」に変わっていた。孫とカラオケに行ったこともあったが、何を歌っているのか全然解らなかった。情緒的なところが一つもなく、私は場違いなところに来たという感じだった。私達の童謡は抒情歌となった。

より以前の記事一覧