« (557)神田寺(かんだでら) | トップページ | (559) 夏 終わる »

2015年8月 1日 (土)

(558)奥の細道

Photo 【与謝蕪村が描いた画集「奥の細道」の那須湯本のかさね】

 先日 義弟の山崎さんが「奥の細道」のCD(新潮社発行)を持っきてくれた。私の両手がきかなくなって読書が出来ないのでCDなら聞けるだろうと、わざわざ買い求めてくれて 届けてくれたのだ。奥の細道の旅行が終わって12回に渡って書き溜めたブログをまとめようかと話していたので、参考になるよう届けてくれたようだ。実は準備は終わっているが 作業を再開するとおおごとになるので手を出しかねていたが、病状が悪くなる一方なので そろそろタイムリミットかと思い、着手することにした。 CDは久米明が朗読し、竹西寛子さんが解説している。 竹内さんは日本芸術院の会員で、文化功労者であるが、解説をうかがうと内容は素晴らしいが、その口調は実にゆったりとしていて、聞いていると睡魔に襲われる。 久米明は原文を朗読し、さすがに巧みであった。 

 このツアーは2010年9月29日を第一回として芭蕉ゆかりの深川を訪ね、都合16回32日間を要して芭蕉が歩いた奥の細道を私たちも辿るというものであった。 白河の関までは日帰りのバス旅行であったが、二本松からは一泊ないし、二泊の旅行であった。ブログでこの旅行のことは書いているが、今回CDをいただいたことでまとめることにした。 今になってみるとこの旅行もギリギリ間に合ったような気がする。今だったらとても参加する意欲がないし、参加不能な体調になってしまった。芭蕉と同じように人生最後の旅行ができてよかったと思う。 2011年3月に東日本大震災が起こり旅行が中断され、半年ほど間が開いてしまった。  

 芭蕉は1689年3月27日に弟子の曾良を伴って江戸深川を発ち、全行程約600里(2400キロ)を日数約150日をかけ東北・北陸を巡り1691年に江戸に帰った。「おくの細道」ではこのうち 武蔵から下野、岩代、陸前、陸中、陸奥、出羽、越後、越中、加賀、越前を通過して、旧暦9月6日に美濃大垣を出発するまでが書かれている。 私たちの旅はこの芭蕉の旅を忠実に辿ったものだ。当初、歌枕を訪ねる旅であったが、平泉で義経の最後を弔ったのがクライマックスでその後は芭蕉の俳句のエッセンス「不易流行」について書かれている。 

 尾形 仂さんはその著書『「おくの細道」を語る』(角川選書)の中で次のように書いている。  「”不易流行”の“流行”とは変化すること、“不易”とは永遠不変ということ。不易流行とは、変化することこそは不変の原理である、流行と不易とは一つのものである、という考え方で、万物流転、旅人のようにたえず移り動き変化してゆくことこそは、その宇宙を律する恒久不変の原理だということは、言葉を換えて言えば、“不易流行”の理念を打ち出したもの、ということになります。」

 

 

« (557)神田寺(かんだでら) | トップページ | (559) 夏 終わる »

コメント

確か、最初のお供が2011年1月の「黒羽周辺」の回でした。
母上が骨折した為のピンチヒッターでしたよね。

その後、何度かお供させていただきました。
正直、芭蕉にはあんまり興味がないのですが、先生が説明してくださっての史跡巡りは面白かったし、普通の旅行では行かないような場所も案内していただけるのは楽しかったです。

何より、私にとっては、妹たちヌキで父上と旅行に行けるのはとても嬉しいことでした。
上野駅の構内のレストランでの夕食。美味しかったなあ!
父上と二人きりで外食なんて、私にとってはアレが初めてだったって、気付いてましたか? 

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: (558)奥の細道:

« (557)神田寺(かんだでら) | トップページ | (559) 夏 終わる »