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2011年12月31日 (土)

(414)大晦日

Photo_2  今年も暮れる。3月11日の東日本大震災から始まって和歌山の洪水、ギリシャの経済危機やらユーロの下落と毎日騒がしく、年末になって北朝鮮の金 正日総書記の死去が伝えられた。原発の爆砕による汚染のニュースも毎日取り上げられ、いちいち気にかけていたら神経が参ってしまう。この先どうなるのか下々の我々にはさっぱり見当もつかないから、危機をあおるような本や記事には眼を向けないことにして、風の吹くまま気の向くまま、“フウテンの寅”よろしく暮らして行くことにした。

 上の写真は シニア会の佐渡演奏旅行でお世話になった重政さんが 10月11日に自宅から写して送って下さったものだ。夕日は何となく淋しい。これからは お国のことも心配だが、小生も左手の不具合、左足の引きずりが 何とか症という10万人に2人が発症する病気との診断が下り、先生から 付ける薬はないからこれからはストレッチとか リハビリ体操に励みなさいと言われてしまったと書いたばかりだが、自分のことがやはり一番気にかかる。

 病気の進行を遅らせるためにも ウォーキングに励むべきなんだろうが、不良の患者でついつい怠け癖が出る。通勤がないからその気になって暮らさないと全く歩かない。それでも毎日の歩数は必ず記録していた。8月から11月まで概ね一日4千歩強しか歩いていなかったところに寒くなってきて、12月はそれも怪しくなってきたので、クリスマス寒波が来て眞冬並と言われている寒空なのに、せっせと歩いて挽回に努めている。

Photo 12月のウォーキングは雨の予報であったので中止してしまったから、毎月行事のグループウォーキングは11月が最後で 中断したままになっている。この時は庭園の後楽園を訪ねるのが目的だったが、それだけでは歩数が伸びないので、丸ノ内線の本郷3丁目駅から本郷薬師周辺を歩いて後、文京区の「ふるさと歴史館」に行き展示物を見学し、坪内逍遥の住居があった炭団坂を下り、今も残る樋口一葉の住居跡をみて、彼女がよく通ったという「伊勢屋質店」の前で写真を撮り、東京ドーム脇を経由して目的の後楽園まで歩いた。

Photo_2 サラ金など小口金融が発達した今日、質屋さんは珍しい。質草の価値以上に借りられないという制度?が借主の破滅を防ぐ。今は安易に借りられるだけに自制心のない人には危険な世の中になってしまった。樋口一葉は一家を支えるために、この質屋さんのお世話になっていたらしい。彼女が亡くなった時、この店の主が下谷の竜泉に引っ越した一葉の住まいまで香典を届けたと 伊勢屋さんの前の掲示板に書いてあった。才媛の美女の若すぎる死を惜しむとともに、それほど昵懇(じっこん)にしていたのだろうとも思った。

 その当時は貧富の差が激しく、貧しい家の子は幼い頃から小僧や子守りとして親元を離れ、商家で働いた。私の家にも夜間の小学校(中学の誤りではない)に通う小僧がいた。一葉の短編小説「大つごもり」を改めてネットで読み、去年103歳で亡くなった母から聞いた大正初年頃の大晦日の情景を思い起こした。

 いうまでもなく「大つごもり」とは「大晦日」のことだ。今年は区切りよく今日の土曜日で終わる。一年のご声援に深謝するとともに 明年も続けられるよう元気でありたいと願っている。

 ここまで書いたところにプロゴルファー杉原輝雄の訃報を聞いた。ゴルフを諦めたからか、このところゴルフの夢をよく見る。なのにこの知らせだ。好きな選手だっただけに寂しい思いがする。

 今年もお世話になりました。皆様良いお年を!

2011年12月24日 (土)

(413)年末ドライヴ

Photo  弟が新車を買ったので、ドライヴに行きたいから姉さんと付き合ってほしいと言ってきた。昔は子供達を乗せてアチコチ大家族で遊びに出かけたものだが、今は子供達も仕上がってそうした機会が無くなってしまい、夫々の親族で出かけるのが常だから、二組の夫婦だけのドライヴとは珍しいことだった。

 行く先は箱根湯本.。真っすぐ行くのも詰まらないから、中央道からヤビツ峠(標高761m)を越えて行くという。私は免許証を返納しているので、私等は連れて行って貰うだけだ。後部座席に座って悠々と景色を楽しんだ。中央道は相模湖東で降り、宮ヶ瀬湖にかかる虹の大橋を渡ってヤビツ峠に向かった。県道70号線・秦野清川線の道路幅は次第に狭くなり、車幅の大きい車では対向車との擦れ違いに運転の技量が試される。初心者は小型車で行くようにお勧めする。

Photo_3 北向きの日蔭には数日前に降ったと思われる雪も残っていた。暖かな都会地から一寸走っただけでこんなにも変わる。気温が低ければ氷結するからウッカリするとスリップ事故を起こしてしまう。結婚した年の3月15日に箱根でスリップして、危うく路肩に落ちかけたことなど喋ってる間に峠を越えた。丹沢山と大山の間を縫うように走り、菜の花台に出た。標高550メートルのそこから見下ろす秦野の眺望は素晴らしい。ネットに綺麗な夜景が載っているので「ヤビツ峠」で検索してご覧下さい。

  峠名の由来は甲州の武田勢が南下して、相模の北条とこの地で合戦に及び、その際打ち捨てられた矢櫃が沢山出てきたからと伝えられているが定かではない。甲州路から至る道を「裏ヤビツ」といい、秦野からの道を「表ヤビツ」というそうだ。下りは、勾配が急だが道幅が広がるので走り易い。

Photo_2 予定の時間に宿に着き、入浴前に庭園を散策した。この宿も何回か団体旅行できているが、こんなに立派なお庭があるとは知らなかった。岩崎弥太郎の二代目弥之助の住宅が保存されており、国の有形文化財に指定されている。夕食は地酒「箱根街道」の吟醸をしっかり飲んで酔い、早く寝てしまった。

 運転手には気の毒だが、旅館の朝食にビールの一杯は欠かせない。朝風呂の後だからこれが美味しい。ゆっくりと出発して滝通りをのぼり、畑宿を経由して箱根道の駅で一休みしてから、芦ノ湖スカイライン、箱根スカイラインを経由して御殿場に降り、軽い昼食をとって、東名で帰って来た。Photo 山の上は晴天だったが風が強く寒かった。そんな条件でもゴルフのプレーに興じてる人を見かけたが、私達も昔はそうだったと言って笑った。三国峠から御殿場方面の眺望は、富士山の裾野が長く引いて素晴らしかったが,肝心の山頂がすっぽりと雲に覆われて見えず残念だった。

 途中 海老名のサービスエリアに寄った。前日に新装オープンしたとかで大変な混みようであった。2階建てになり、洗面所は自動でお湯が出る。贅沢なものだ。民放のアナウンサーなどが買い物客に取材をしているのを眺めたりした。デパ地下がそっくり引っ越してきたような感じだった。

2011年12月17日 (土)

(412)連休

12 12月10日11日の連休は絶好の好天に恵まれた。気温は低く感じたが、暦の大雪も過ぎたことだし、時期としては適当なところではあるまいか。年賀状の準備も終わって何の用事も無いことから娘1号を呼び出して、女房と娘2号の4人で神宮外苑の銀杏の黄葉を見に行った。銀杏まつりとかが開かれていて人出が多かった。腹が減っては戦が出来ぬと、まづ明治記念館の中華レストランで腹ごしらえをしてから、ゆるゆると表参道まで散歩して帰って来た。

Ts3e0814 偶然だが娘3号もその日の夕方孫7号を連れて、そのあたりを歩いていたらしい。携帯で撮った写真を見せてもらった。その夜は快晴なので、皆既月食がゆっくり見られるとニュースで教えてくれたが、翌日シニア会の本番があるので早くねてしまった。次の皆既月食は3年後だそうだから、その時に見るとしよう。「誰だ それまで元気かい?」という奴は。

今年最後の本番は 田園都市線あざみ野駅近くにある高級老人ホームでの演奏会で、ピアノ独奏を挟んで2ステージ、「美空ひばり名曲集」5曲と「懐かしい日本の歌」5曲、予定したアンコール曲2曲を歌った。佐渡の演奏旅行で歌ってきた曲集なので、いくら忘れっぽい人達でも大丈夫、ほどほど満足に歌え、駅前の居酒屋での打ち上げは盛り上がり、戴いた交通費を使い果たし足を出した。自画自賛のメールを添付すると次の通り。「近来にない出来でした。」のタイトルで本文は「昨日はお疲れさまでした。聴き手が私達と同世代またはそれ以上となると、少々緊張致しましたが、良い演奏だったと思います。」

Photo セコムが経営する「コンフォートガーデンあざみ野」には1008年4月にも来て歌っている。その時の参加者も今回と同じ30名余りだったが、10名が入れ代わった。体調が悪かったり怪我をして参加出来ない人もいるが、中には亡くなった人もいる。3年半の間であったが、入居されている先輩が車椅子で控え室にお見えになって、「前回皆様がお見えになった時は、愛唱歌をご一緒に歌えましたが、今回は聴かせて戴きます。」とおっしゃられた。我々のような年配者には貴重な歳月なのだなと改めて思う。

その時 主催者から戴いたお礼の言葉が手許にあるので、ここに書き留めておく。褒め言葉を真に受けて、この時の評価が今回の再演に結びついたのかな と勝手に思っている。

 お礼の言葉 「本日は素晴らしい歌声をご披露戴き、誠に有難うございました。居住者の皆様からも『今までで一番素敵なコンサートだった』等々のお言葉を頂きました。我々も皆様のお声から前向きなエネルギーを頂きました。皆様の今後益々のご活躍を心よりお祈り致します。

2011年12月10日 (土)

(411)師走

 喪中のお知らせが届くような時期になってくると、風にはためく年賀状売出しの旗に何やら追っかけられるような気がしてくる。去年はウチが喪中だったので既製品の喪中葉書を使って楽をしたが、今年は例年通り手作りにしようと思い、色々と考える日が続いている。

T04 これは旧制の都立四中(現 戸山高)の4年の春、新宿の伊勢丹で撮った写真だから、今から63年も前になる。音楽班といった合唱団の同期生で、中央にいるO君が旧制の浦和高校に4年修了で合格し、別れることになったので記念に撮ったものだ。その後、歩む道はそれぞれ変わったが、機会あるごとに旧交を温めてきた。何時まで酒を飲んだり、ゴルフをしたり出来るかなぁと言っていたが、9月末に急逝してしまった。(402話)我儘でせっかちな男なので、誤解されている面もあったが、昔馴染みには得がたい友であった。

 お通夜の晩に同期の4人が顔を揃えたが、時間もないことから日を改めて偲ぶ会をしようと約して別れた。2か月が経って、先日小生宅に集まり、昔話に花を咲かせたが、盛り上がることもなく何となく淋しかった。小生も難病が発症したので他人事ではなく、余生の過ごし方を真剣に考えねばならないと思う年の瀬である。

Photo 発症した病気は20年ぐらい前に病名が付けられて、対症療法が確立していないし薬もないと聞くと、せめて毎晩の水薬りでも増やしてみるか?という気になる。東大病院で難病の肩書を戴き、地域の介護施設に出向いて、要介護の申請も済ませてきた。「こうなりゃぁ矢でも鉄砲でも持ってこい」 と開き直った感じだが、元気な内はまだオサラバしたくはない。写真は昔と同じ配置に並んで撮った。中央に亡くなったO君がいる筈だ。病名が決まったところでネットで調べてみるか と思ったが、怖いことが書いてあるに違いがないから、“知らぬが仏”を決め込んで未だに調べてない。浦島太郎の玉手箱のように蓋を開けたら白い煙がパッとでて、おしまいとなったのでは敵わない。

 区の保健所に難病指定の申請をすれば、医療費の補助や給付金も貰えるとあって、早速その手続きにも行ってみた。リハビリセンターもあって、理学療法士がそれぞれに合ったメニューで、リハビリの指導をしてくれるのだそうだ。それも自宅まで送り迎えをしてくれるとのこと、至れりつくせりである。近所にある介護施設でも運動の指導をしてくれるそうなので来週から通うつもりだ。筋肉の委縮を遅らせるために、適度の運動とマッサージが良いというので真面目に努めたいと思っている。「近所のお年寄りに会ったりして嫌だな」などとは言っていられなくなって、“こうなりゃぁ見栄も外聞もないや”と不貞腐れている。

 保健所からの帰りに九段下ビルの解体現場をみた。昭和の初めに俎板橋の神保町寄り北側に建てられた3階建ての西洋長屋風の建物で、威容を誇っていたが老朽化が激しく、遂に年内一杯で取り壊されるらしい。築八十数年ともなれば惜しまれつつも致し方ないか?というところだが、さて我が身となるとそうはいかない。 

2011年12月 3日 (土)

(410)音聴の秋

ハーモニーを聴きわけるために聴音という訓練がある。それをひっくり返して、Imgp0898jpg_1_2音楽に耳を傾ける表現に 音聴という熟語があるかどうか知らないが、この時期になると音楽会行きも忙しい。佐渡から帰ってきて21日が新日本フィルの定期演奏会、メッツマッハーの指揮でブラームスの交響曲1番を聴いた。このところ,この曲を2度聴く機会があったが、いい演奏ではなかったのでこの夜は満足できた。続いて22日は千代田区役所の1階区民ホール、翌23日は日経ホールで歌った。22日は福祉まつりの特ステ、23日は千代田区民合唱祭にご出演であった。演奏旅行で歌った曲なので演奏面での不安はなかったが、旅行の疲れか参加者が少なく、いい演奏が出来ず残念であった。やはりシニア会は数が頼りだ。

 翌週の10月29日土曜日に浜離宮朝日ホールで、岡村喬生の傘寿記念コンサートがあった。ピアノは作曲家として売出中の伊藤康英。開演前のアナウンスで「休憩なし」の断りがあったが、トークを交え2時間余りをぶっつづけで歌ったのには感心した。オペラのアリア4曲、日本の歌6曲、シューベルト3曲、カンツォーネ3曲という構成であった。

 プロの最後にヘンデルのアリア・オンブラマイフーを持ってきたが、彼が数十年前 帰国演奏会を東京文化会館大ホールで催した時、この曲から始めたと記憶しているので感慨深かった。終演後 築地の寿司岩に寄り、80歳になってもそうして歌える体力、気力は凄い!と、今後の活躍を祈ってカミサンと2人で乾杯した。早稲田グリーの同期生が元気だと、こちらも元気になれるような気がする。

Photo その翌週の11月2日(日)は蒲田の太田区民アプリコ大ホールで慶応義塾ワグネル・ソサイエティーOB合唱団の定期演奏会2011を聴いた。4ステージ構成で、第2ステージはOG合唱団の賛助出演であった。全ステージ暗譜演奏でその集中力は凄い。ステージによってオンステ者数にバラツキがあったが最多70名のOBが舞台にのった。だがこの団も平成卒は僅かに3名で、高齢化の波に洗われている。

 オペラ歌手として高名な平野忠彦氏が、男声合唱の名曲「月光とピエロ」を振ったが、独特の解釈で驚いた。違和感を持って歌っていた人もいたのではないかと思う。指揮者の命は神の声だから逆らえないが。

Photo_2 12日(土)13日(日)は連チャンだった。12日は渋谷区文化総合センター大和田「さくらホール」で第2回ラトビア音楽祭、13日はすみだトリフォニー大ホールで桜楓合唱団の第42回定期演奏会。そして25日と27日は何れもすみだトリフォニー大ホールで新日本フィルの名曲コンサートと男声合唱団 東京リーダータ―フェルの定期演奏会を聴きに行き11月が終わった。 

 12日のホールは来年のシニア会の定演で使う予定なので、音響を確かめる意味からも行かねばならぬ演奏会であった。「日本・ラトビア国交樹立90周年及び国交回復20周年記念 ラトビア音楽の集い」と仰々しいタイトルが付いていたが、主催者がラトビア共和国大使館・日本ラトビア音楽協会、後援 外務省・渋谷区とあれば致し方なかろう。事実 特命全権大使や区長の挨拶があった。昔、バルト三国へ演奏旅行に行った時に初めて触れたジンタルスの合唱を懐かしく思い出した。その日の夜はシニア会の練習があったので、打ち上げ会に誘われたが寄らずにまっすぐ帰って来た。

4103_2 桜楓合唱団は日本女子大のOG合唱団で日本有数の女声合唱団である。故木下 保氏の指導を受けた女子大生がOGになって結成以来、毎年1回定期に演奏会を開き42回を数えるに至った ということで、30歳から参加した人でも今年72歳となる。男と違い、結婚、子育てというハンデもあって、全ての期間継続して活動に参加できることが幸せかどうかは別問題にして、合唱団の求心力を今日まで持続し、毎年2千人から入るすみだトリフォニー大ホールで、定期に演奏会を開ける合唱団はそうざらにはない。稲門グリークラブも一頃まではそんな勢いもあったが、今日ではそんな元気もない。ワグネルにしても「定期演奏会2011」という表示にして、「毎年開くわけではありません」と言外に匂わせている。

 「演奏会の回数じゃないよレベルだよ」という声が聞こえてくるようだが、桜楓さんは委嘱作品の初演も多く、合唱界にも貢献している。とても敵わないとシャッポを脱ぐ。だが打ち上げ会は、例年立食で、だらだらと挨拶ばかり続き、くたびれるばかりで嫌だったが、参会者のお年頃に配慮したか、今年はビュッフェ形式に代わり、料理も豪華、しかもお値段が安いとあって、この面でも完敗であった。来年のシニア会定演をどうするか これから作戦を考えるとしよう。

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