« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »

2011年11月26日 (土)

(409)奥鬼怒

Photo_2 11月3日、浅草9時発のスペーシアに乗り、女房と娘2人をつれて奥鬼怒へ紅葉見物に出かけた。実を申せばこちらの方がお供で、旅行の段取りなどは娘が全部とってくれて、私達はくっついて行っただけだから、当然 勘定はこちらが全部引き受けた。

 鬼怒川や川治温泉には業者や町会の親睦旅行で何度も来ているが、そうした一泊旅行は、午後に出発するなり車中でビール、日本酒、おつまみが配られ、宿に着くと直ぐ風呂に入り、宴会となって、芸者さんと一騒ぎ。終わったら麻雀卓を囲むか、翌日ゴルフの場合は按摩さんにかかって直ぐ寝てしまい観光などはしたことがなかった。今回は真面目そのもの、行きの電車ではビールも飲まない。

Photo  初日の行程は先ず鬼怒川のライン下り。終わってからロープウエイで丸山山頂へ登り紅葉の山々を眺め、周辺を散策。路線バスで平家落人伝説の地として知られる湯西川温泉に着いた時は早や暮れかかっていた。翌朝 霧が晴れた山道を歩き、復元された平家の里を訪ね、落葉の匂い、踏みしめる感触、陽を浴びてきらきらと舞い落ちる木の葉に山の秋を味わった。紅葉の時期の休日なのに空いていたので、のんびり出来て良かった。来年は大河ドラマが「平清盛」だから混むだろう。

 その後、路線バスで川治温泉まで下って、その日の目玉、水陸両用車のよる川治ダムの見学に向かった。公道を走るバスがそのままダムに進入して遊覧船となる。その入水の瞬間が面白い。運転手さんは大型特殊の運転免許と船舶の操縦免許の両方を持っていなければならない。Photo_4

 「川治ダムは、洪水による下流河川のはんらんを防ぐための洪水調節、農業用水や都市用水の供給を目的につくられた国内で第4位の高さを誇る、アーチ式コンクリートダムです。今年も集中豪雨が何度もありましたし、渇水の時期もありました。また皆さんがお使いのカメラも水が無くては作れません。飲み水だけでなく、産業にもお役に立っているのです。」とダムの重要性を盛んに説いていた。発電用のダムではないが、昨今の異常気象を考えると、ガイドさんの話には説得力があった。

Photo_2 船 丘に昇る」 湯西川温泉駅に戻って次のバスが来るまで足湯につかり、龍王峡入口まで下って、最後の見物と220段の石段を降りて滝を眺め、川を眺めた。下れば登らなくてはならない。それは覚悟の上であったが、トシのせいか、病気のせいかバランスを取るのが厄介になって石段の下りは危ない。右側に手すりがあれば大丈夫だが、ジグザグに降りる道は手すりが谷側にあるから交互に代わる。左手が不自由になってしまったので、何度も支えてもらいながら歩いた。転ろげ落ちたら一大事だから、見栄も外聞もなく女房や娘にすがりついて歩く始末だった。「こんな具合じゃ熊野古道はもう歩けないな、いい時に行ってきたよ。」と女房に言った。写真は川下りの観光船をロープで川に降ろしているところ ローマの故事の逆だが 面白いので撮った。

 Photo 帰りのスペーシアは個室だった。4人がゆっくりとくつろげてビールも美味かった。上の娘2人だけがいい思いしたのでは肩身が狭かろうと、娘3号4号に「浅草へ来い」と電話をかけ、一緒に晩飯をたべることにした。定刻7時に御到着。娘1号と娘3号の孫3人が加わって6人がお出迎え。総勢10名様の団体になって、仲見世近くの釜めし屋で、留守番相手の報告会に花を咲かせた。

2011年11月19日 (土)

(408)佐渡余話

Photo 佐々木象堂画「牧童」昭和36年(1961)数え年80歳(絶筆)

 人間国宝 佐々木象堂(1882~1961)は昭和35年4月に重要文化財蝋型鋳造の保持者に認定され、翌年1月真野町にて死去。この絵は新春に家内安全を願って画いたもの といわれている。丑年だった私の父が佐渡に旅行した事がある と聞いていたので、真野町にある「朱鷺(トキ)の郷 象堂記念館」から買ってきた版画だと信じていたが、添付の年譜には氏が亡くなるまでが載っているので、これはおかしいということになった。父は昭和28年に亡くなっているのだから勘定が合わない。母が佐渡へ行ったかなぁと思ったりしたが、誰かさんから戴いたのを忘れてしまったのであろう。申し訳ないことである。何年何月、何方から受領と記録しておくべきであった。

Photo 妙宣寺五重塔(国・重文) 前に紹介した重政さんが効率よくご案内して下さったので、観光したポイント、ポイントは覚えているが、地図の上ではつながらない。今改めて見てみると、象堂記念館は佐渡歴史伝説館に併設されているのが判った。そこは今回訪れた国分寺や妙宣寺の近く、順徳上皇の御陵のそばにある。順徳上皇は承久の乱の責を問われて、この地に流され島で没した。そんなことはとうに忘れ、百人一首の「ももしきや 古き軒端のしのぶにも なほ余りある昔なりけり (順徳院)」だけは覚えていた。上皇の配流ともなれば、あまたの女官や下士も随行したであろうから、先に書いたように都の文化の移入がなされたのであろう。皇女の墓も幾つか見られるので余計にそう思う。

 重政さんはシニア会の団内指揮者 耕納君と高校時代からの友人で、佐渡に惚れこみ 6年前にこの地に移り住んだという。Photo_4 東京外語大卒で長い外国生活のキャリアを生かし、外国人相手のガイドを務めるかたわら、トキの保護活動をされているという。演奏会のプロデュースなどは勿論初体験だから、準備に手間取ったらしい。40名からの宿泊、交流会の準備、会場の確保、プログラム、チケット、ポスターの製作、広告取りからスポンサー探し等々、やるべきことは山ほどある。そのうえ 前にも書いたとおりガイドまで務めて下さった。「耕納に頼まれたからには嫌とは言わない」と何度か言われた。高校卒業から60年近く交遊が続き、こんな大仕事を引き受けてくれる絆の強さに驚くとともに羨ましくも感じた。重政さん(左)と耕納指揮者 交流会 にて

5 伊藤窯一(よういち) 雅号5代赤水(せきすい・人間国宝) 無名異焼

 この写真は平成15年に重要無形文化財保持者に認定された伊藤窯一の無名異焼(むみょういやき)である。(Wikipediaよりダウンロード)佐渡 相川を中心に江戸末期頃よりつくられている焼き物で、佐渡金山より産出する無名異という天然の酸化鉄を混ぜた粘土を使う。釉薬を使わず焼き上がった赤茶色の地肌は、長く使用することによって独特の艶がでるという。私が買ってきたのはそんな高価なものではなく、永柳 修一さん(永柳陶房・雅山窯)が作った“ぐい飲み”で、このところ毎晩これで飲んでいる。が、とても艶が出るまでは生きられない。

最後に9月28日発行の「島の新聞」63号に載った記事を転載しておく。(404話と重なる部分は割愛)

 「美空ひばりのヒット曲を男声合唱団が歌う!」Photo    ジェットホイルの乗船券

 稲門グリークラブは早稲田大学の男声合唱団・グリークラブのOBが14年前に結成したシニアの男声合唱団で、毎年、東京で定期演奏会と日本各地での演奏会を開催しています。縁あって今回佐渡で演奏会を開催してもらうことになりました。(中略)

 この演奏会は佐渡市の「佐渡起こしチャレンジ事業」の助成により入場料を500円と安く設定しました。また中学生以下の児童は無料です。

 平均年齢が76歳をこえる本当のシニアの合唱団ですが、若々しい歌声で佐渡のシニアの皆さんや若い方に元気を与えてくれると思います。皆様ぜひお誘い合わせて演奏会にお越し下さい。(以下省略)

 「本当のシニアの合唱団ですが」という箇所が面白い。記事を書いた重政さんの顔が思い浮かぶ。なお冒頭の紹介の部分に混乱があった。正しく書けば次の通りとなる。

 「稲門グリークラブ・シニア会は早稲田大学グリークラブのOB合唱団『稲門グリークラブ』のシニアメンバーが14年前に結成した男声合唱団で・・・・」となる。

2011年11月12日 (土)

(407)村上

第4日 【行程】 瀬波温泉=村上駅・・・九重園見学後市中散策

村上発15:44-新潟着16:33、新潟発16:44(MAXとき338)ー東京着19:00

Pa120266 Photo  翌朝9時に宿のシャトルバスで村上駅まで送ってもらい、ロッカーに荷物を預け,タクシーで九重園茶舗まで案内してもらった。展示品が見事と、昨夜フロントでリサーチしていたからだ。町の家々の前に「屏風祭り開催中」の立看板が立っている。67軒が参加しているとのことだが、そればかり見ているわけにはゆかないから主なところ数軒に絞り、先ず九重さんを訪ねた。蔵つくりのお店も立派で、戦前 私の家の近くにあった大阪屋茶舗を思い出した。店員さんの親切な説明に感心し、お茶までご馳走になったので、その銘柄のお茶と香炉を買ってしまった。香炉でお茶を焚くのも風雅なものと教えられたからだ。

Photo_3 Photo_2 田村酒店と大洋酒造 次は何処へ行ったら良いかと店員さんに伺って、大洋酒造を紹介してもらった。先刻乗ったタクシーの運ちゃんが「”〆張鶴”もいいけれど”紫雲”を薦めます。吟香がほんのりで燗でよし冷でよしという酒です。」と言っていたので、その醸造元なら大いに結構と、足取りも軽くなった。紫雲という酒は村上近郊だけに販売している酒で、他には出してないと聞けば飲んでみたいと思うのが人情で、販売店を教えて貰うと、屏風の方はもうどうでも良くなってしまい、その酒屋を探し出して早速一升瓶6本を家に送ってもらった。

 ガイドマップをたよりにあちこちと歩く。村上市郷土資料館(おしゃぎり会館)、重文 若林住宅、三の丸会館、村上歴史文化館、重文 浄念寺、まいづる公園内の旧藤井家住宅、旧嵩間家住宅、旧岩間家住宅などなど、途中で食事の場所も探さねばならず よく歩いた。折良く市場通りに朝市が出ていて、農家のおばさんがお喋りしながら、生栗を一つ一つむいていたり、大きな生鮭が一尾ドンと並んでいたり、1袋500円の栗を眺めていたら「400円にするよ」と言われたりして面白かった。

Photo_5 Photo 若林住宅では、白い割烹着を着たおばあさんが、四方山話をしながら、囲炉裏にかけた大きな鉄瓶からお湯を汲んでお茶を入れて下さったり、旧藤井家の田中盛夫さんは、軒に吊るした鮭の干物のスライスを味あわせて下さった。どこでも観光客に優しく温かく接してくれたのが嬉しい。流石に歩き疲れて市中からタクシーで駅に向かった。暖かく風涼やかな上天気の一日であった。汽車の時間まで間があったので喫茶店に入った。その女主人が話好きで、色々とお喋りをして時間をつぶした。旅に出て地元の方々と時間を共有するのは楽しいことだ。寅さんが“旅に出る“という気持ちが分かるというものだ。

Photo_6 駅前に大和田愛羅氏の「今は山中、今は浜、今は鉄橋渡るぞと…」の小学唱歌歌碑があった。歴史文化館に氏が寄贈した当時としては貴重なピアノが展示されていたが、氏は村上の出身だそうだ。また 皇太子妃の実家である小和田家のルーツもこの地で郷土資料館に特別のコーナーが設けられていた。

 村上城は別名「舞鶴城」という。明治初年の戊辰戦争の際、奥州列藩同盟に組した結果政府軍に敗れ、城は焼失し石垣が残っているだけという。小説「北天蒼星」伊東 潤著(角川書店)は、上杉謙信の跡目争いに敗れた景虎側から書かれたものだが、ここには「御館の乱」(1579)で景虎の期待に反して村上の本庄氏が景勝側に付き、乱を終息させたように書かれていたと思う。NHKの大河ドラマ「天地人」で加藤清志郎君が少年時代を演じて評判になった直江兼続も、ここでは奸智にたけた策士として描かれていた。5月頃に読んだので定かではないが、既に取り入れの終わった北越平野を車窓からボンヤリと眺めながらそんなことを思い出していた。

2011年11月 5日 (土)

(406)佐渡から村上へ

Photo 第3日 【行程】9:00ホテル吾妻出発=佐渡金山見学=相川にてお別れ。ホテル吾妻の庭にて

10:45相川発=11」46両津着・昼食、13:20両津発ジェットフォイル~新潟港・・・タクシーにて新潟駅へ15:31新潟発特急「いなほ」で村上へ・・・タクシーで瀬波温泉大観荘へ、宿泊。

 シニア会ツアーは佐渡金山見学後、加茂湖鮮魚センターを経由し二つ亀フィッシャーズホテルで昼食=両津港~14:35両津発ジェットホイル~15:40新潟港着・・・タクシーにて新潟駅へ、新潟発16:44(MAXとき338)―東京19:00着

Photo_5 私達夫婦は江戸時代に採掘した佐渡金山宗太夫坑を見学後、相川のバス停留所まで送ってもらい皆さんとお別れした。本来ならば新潟駅迄同行して免責として頂く心算だったが、村上へ行く特急が15:31発なので、一つ早い便にせざるを得なかった。佐渡へ行ったついでに、何処か立ち寄ってみたいと思い旅行社に相談したら、六日町と水上そして村上の3か所を候補として持ってきた。村上以外は上越新幹線の沿線だから、皆さんと行動を共に出来るので大分迷ったが、お許しを戴いて村上へ行くことにした。

Photo_7 鮭の遡上で有名だが未だ時期ではないのに、なぜ村上にしたのか?といえば、ネットで調べたところ、旧町人町一帯で伝統の屏風と昔の民具などを展示する「町屋の屏風まつり」を10月15日まで開催しているということと、地酒や北限の茶、伝統の町屋造りなど、のんびりと城下町を味わったらどうか?と考えたことと、先月末亡くなったO君と最後になってしまったゴルフをやった時「君があちこち行ってるのはブログで見て知ってるけど、俺も女房孝行でさぁ,こないだ村上に行ってきたよ」と話を聞いたのを覚えていたからだ。

Photo_4 日本海に面した瀬波温泉は夕陽の美しさで知られている。日没前に着いたのでお茶も飲まずにすぐ海岸に行き夕陽を眺めた。佐渡では見られず残念なことをしたが取り返したような気分だった。「大観荘」の露天風呂は気にいった。何となく解放された気持になり、長湯をして晩酌を楽しんだ。酒は勿論 地酒の〆張鶴、食事が済んでからマッサージにかかり、1時間たっぷり揉んでもらい疲れを癒した。

« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »