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2011年10月29日 (土)

(405)佐渡演奏旅行ー2

第2日 10月10日(祭)終日佐渡観光

Photo 【行程】 9時 トキ交流会館出発=トキの森公園(トキ保護センター)=国分寺=妙宣寺=大膳神社=宿根木・「花の木」昼食=小木港=真野=七浦海岸経由 大浦へ 途中 金鶴酒店=ホテル吾妻

 朝 食事の前に散歩に出て、宿舎近くの牛尾神社に詣でた。昨夜の交流会でお会いした佐渡稲門会のメンバーのなかで、この神社の神職を務めている方が居られたのでお詣りに行ってみた。小さな丘の上にあり、奈良朝末期・桓武天皇による平安遷都の2年前に、出雲大社から勧請して建立したと由緒にあるから、大変な古社だ。今の社殿は120年前のものである。写真のような能舞台もある。毎年6月12日の例大祭の宵宮には、ここで薪能が奉納されるとのことであった。宮司は女性、身分は2級と伺った。女性の宮司さんは珍しいと思ったので、早速調べてみたら、平成16年3月現在 計2595名で総数の12%、その内訳は、特級1名、1級0名、2級上22名、2級187名、3・4級187名であった。(403話参照)

Photo_3 Photo_4  牛尾神社の宮司さんは両津湊にある八幡若宮社ほか11社を兼務するとあった。私の家の近所では、湯島天神の宮司さんも妻恋神社を兼務している。写真の「安産杉」は佐渡市文化財に指定されており、樹齢約千年、子授け・安産の杉として有名だという。来年の4月に末娘が出産の予定なので、しっかりとお願いをしておいた。

 薪能を奉納すると一言にいっても、それはすごい事ではないかと思う。オペラは見ても能・狂言を見たことのない人間が想像しても、面、装束、小道具、楽器等の保管、技能の稽古、伝承してゆかねばならぬことが沢山にあるだろう。演技を行うシテ方、ワキ方、狂言方、伴奏音楽を担当する囃子方、それも笛、小鼓、大鼓(大革おおかわ)太鼓、など演目により多人数にもなるだろうし、それらを得意別に子供の頃から継承して、合わせの稽古も当然重ねていなければ幕が上がらない。お神輿担いでワッショイショイとは訳が違う。能舞台の近所におられる方々が楽しみながら練習しておられるのであろう。

Photo_6 佐渡国分寺 瑠璃堂 プロによって演ぜられる舞台ではないから、本番の時は家族が揃って観客となり打ち上げも楽しむのであろう。歌舞伎と並んで日本の代表的な伝統芸能として国際的な高い知名度を誇る能が、地域の人に支えられて伝承されている姿をみて感心した。また、古浄瑠璃、獅子舞なども代々受け継がれ現存するという。芸は一朝一夕に修得出来るものではないから、能に興味のない子供も、このような郷土芸能の指導を大人から受けているのだろう。千代田区の中学生は、在学中に1度だけ能と雅楽を鑑賞する機会があるようだが、恥ずかしながら小生は81歳になった今日まで、改まって見る機会がなかった。

 アクティブに活動している能舞台は全国に70余り現存しているらしい。その内32が佐渡に現存するという。なぜ佐渡にこのような文化が根付き、今日まで伝承されたのであろうか?室町時代 能の大成者として知られる世阿弥が足利義教の命により、この地に配流されたからとか、北前船の寄港地として上方文化が常に流れ込んでいたからとか、と言われているが、江戸時代は金山の採掘で幕府が天領にしたなどと、この地が基本的にリッチであったのではないだろうか。人口比で比べるのも可笑しな話だが突出して多いと思った。

 だが経済的に豊かであるだけで伝統芸能が継承されるとは思わない。そこには地域の人たちの紐帯、絆、郷土愛がしっかりとあったからだと思う。この度 トキの放鳥に当たって無農薬農業に全島挙げて取り組んだと聞くと、こころの豊かさがこの島には残っているのだと感じた。

*****

Photo トキ保護センターから観光が始まった。幸い天気にも恵まれ湿度も低く快適であった。「ゆったりと刻(トキ)が流れる島 佐渡」と書かれたパンフには、「周囲281.7㎞、面積855.1㎢で伊豆大島の約10倍東京23区・淡路島の約1.5倍で日本海最大の島です」とあったが、市のホームページの数字とは若干違う。(社)佐渡観光協会が制作しているのに何故違うのだろう。人口は63,042、世帯数24,875,2011年10月1日調べとあった。人口は時により変化するが地形は変わらない。写真は絶滅する前、最後に残ったトキのキンさん。

Sadodvd  指揮者耕納君の学友である重政さんが、今回の演奏旅行の全てを取り仕切って下さり、その期間ガイドまで務めて下さった。そして自ら作られた1時間に及ぶDVD「佐渡 映像と音楽」を佐渡の良さを理解して戴くためにと旅行者全員に下さった。そこには四季折々の佐渡の風景草花等が、詩情豊かな音楽を添えて映し出されていた。それらの一部を綿密に組み上げられた行程に沿ってご案内戴いた。茅葺屋根が暖かい国分寺、新潟県下唯一という五重塔と立派な庫裡のある妙宣寺、能舞台のある大膳神社、を見て、昼食の場所 旅館「花の木」へと向かった。途中 指揮者の原田君とピアニストの谷本君が学業のため、一足先に帰京した。

 昼食後 回船業の集落として発展した宿根木(しゅくねぎ)集落と復元された千石船「白山丸」を見、小木民俗博物館を駆け足で見てから金鶴酒造の売店に寄り、昨夜の宴会で充分試飲した銘酒をお土産に仕入れた。朝から良い天気であったが夕方から少し雲が出てきて、夕陽に一番近い宿と触れ込みの「ホテル吾妻」に着いた時は、残念ながらその絶景は見られなかった。

Photo  入浴後の宴会は前夜同様盛り上がり、今度は宿の仲居さんもお客になって大拍手、益々調子に乗って歌いまくった。佐渡稲門会の奥様達による佐渡おけさ、相川音頭など、その夜も堪能し良く飲んだ。宴たけなわになった頃、お世話になった「佐渡稲門会」、「両津あてびの会」と共演した「佐渡ウィンドアンサンブル」の代表の方にお土産をお渡しして謝意を述べた。

2011年10月22日 (土)

(404)佐渡演奏旅行-1

2011年10月9日(日)~11日(火)                               

【参加者】 メンバー31名、同伴者4名、指揮者等2名  計37名             

【旅程】  第1日 上越新幹線で新潟→ジェットフォイルで佐渡へ 

東京発8:24MAXとき309-新潟着10:38 タクシーに分乗して新潟港へ 佐渡港発11:30ー両津港着12:35→貸切バスで演奏会場へ(車中お弁当)13:00会場着

【演奏会場】 アミューズメント佐渡 大ホール(定員1300名)              

【賛助出演】 ウインドアンサンブル佐渡                         

【演奏曲】  ①「懐かしい日本の歌」 指揮 耕納邦雄  ピアノ 谷本喜基                   

        ②吹奏楽演奏       指揮 池田智真                           

        ③西岡 瞳編曲「美空ひばり名曲集」メドレー 指揮 耕納邦雄  ピアノ 谷本喜基       

        ④男声合唱組曲「詩人の肖像」 語り 西山正俊  指揮 原田太郎  ピアノ 谷本喜基

Photo  第1ステージは、1)早春譜*2)高原列車は行く**3)砂山**4)箱根八里*5)熊祭りの夜**と歌いなれた曲であり、年配者が多いシニアのお客さんには懐かしい歌ばかりだ。編曲は*印が林 光、**が西岡 瞳であった。

 第3ステージは、美空ひばりのヒット曲の中から5曲を選び、西岡さんにメドレーにして戴いたもので、今回が初演であった。もともと一人で歌うように書かれた曲を30人もの爺さんが歌うのだから、細かいニュアンスやひばりの味が出るわけがないが、今年23回忌を迎えた昭和の歌姫を偲んで頂いた。曲は1)愛燦々2)東京キッド3)津軽のふるさと4)お祭りマンボ5)川の流れのように であった。

 第4ステージは、3月の定期演奏会で作曲者に大変褒めて戴いた寺山修司作詞、服部公一作曲の「詩人の肖像」であった。前回指揮をした林君が芸大を卒業しドイツに留学したので、彼の推薦により後輩の同じく芸大指揮科2年の原田君が指揮をした。なお同君には引き続きシニア会の面倒をみていただくようお願いして快諾を得ている。

Photo_3  アンコールの2曲目に予ねて用意の「正調佐渡おけさ」を歌った。今年芸大の作曲科を卒業したYさんに編曲をお願いして練習しておいた。ピアノの前奏が始まると会場が一瞬ざわめいて、直ぐに手拍子が始まった。こうなりゃぁ歌が上手かろうと下手であろうと関係ない。会場の手拍子に乗ってご機嫌で歌い納めた。直ぐに舞台を降りて玄関口へ行き、稲門の方々のために校歌、応援歌を熱唱、場所が狭かったので良く響き、第5ステージが一番良かった との評判であった。

Photo_4  打ち上げ会場は宿舎の「トキ交流会館」。真っ暗な道を貸切バスで移動。これではお客様方のお帰りは、皆さんお車だったのかなぁと思ったりした。交流会は主催の「両津あてびの会」、共催の「佐渡稲門会」の皆さんの心温まるおもてなしを受け楽しかった。地元の方の佐渡おけさや相川音頭の踊りにお返しをと、またまた応援歌など高歌放吟とどまるところを知らず、一升瓶を飲み比べて大満足。演奏旅行はいいなぁと1時過ぎまでニ次会をやっていたとか。

4044_2  飲んべぇ爺さんの団体と思われても困るので、宴たけなわとなった頃を見計らって、トキの保護活動に少しでもお役に立ちたいと、少額ではあるが両津あてびの会を通じてご寄付をさせて頂いた。翌10日は貸切バスで一日中観光、夕日に一番近い宿として日経新聞にも紹介された「ホテル吾妻」に泊まり、改めて豪華大宴会を予定している。                          

2011年10月15日 (土)

(403)神職階位

 氏神様湯島天満宮の宮司さんのお祝の会が、佐渡・村上の旅行から帰った翌日の13日に東京ドームホテル天空の間で開かれた。「押見守康宮司 神職階位浄階・身分一級昇進を祝う会」で240名からの参会者があり盛宴であった。

Photo  神主さんにも階位があり、身分の等級があるとは知らなかったのでパソコンで調べてみた。Wikipediaの解説を引用する。

 神社本庁では、「階位規定及び授与に関する規程」により、以下の5つの階位区分がある。明階までは所定の研修をうけることにより昇進が可能である。なお、階位の名称は神道で徳目とする「浄明正直」(きよく、明るく、正しく、すぐき)心を表している呼称である。浄階、明階、正階、権正階、直階とあり、浄階は神職の最高位で、長年神道の研究に貢献した者に与えられる名誉階位で稀少とされている。

 また「神職身分に関する規程」により、特級、一級、二級上、二級、三級、四級という身分の区分がある。身分の選考は経歴・神社界に対する功績をもとに行われる。神社本庁統理、神宮大宮司は特級、神宮少宮司は一級、神宮禰宜、別表神社*の宮司は二級上または二級という基準がある。

*別表神社 昭和26年に「別表に掲げる神社選定に関する件」という通達が出され、官国幣社以外で新たに別表神社に加える神社の選定基準が示された。以後次第に増加し、平成18年には353社となった。ちなみに東京には11社があり、それは次の通りで、社殿、境内、神職の数などの面で比較的大きな規模の神社であり、一般には一種の格付けとして捉えられている。

・明治神宮・日枝神社・大国魂神社・東京大神宮・:富岡八幡宮・乃木神社・神田神社・東郷神社・大宮八幡宮(杉並)・湯島天満宮・井草八幡宮

Photo_2 湯島神社ホームページより 伊勢神宮や明治神宮のように神宮と呼ばれる神社は限られている。つまり 全国約8万社あると言われる神社の中で、わが氏神の湯島天満宮の宮司さんは最高位を極めた “これは目出度い”と氏子の代表が音頭をとってこの祝宴となったわけだ。宮司さんのお人柄からか、偉い人は殆んどナシの心温まる会であった。

 343話「盛夏の祭り」の折、長野の湯島天満宮信濃分社で親しくお話する機会をもった宮司のご子息さんも権禰宜(ごんねぎ)になられ、結婚披露宴にも招かれたが、この日は赤ちゃんの純一郎君も奥さんに抱かれて参加していた。

 乾杯の前に「清興」として、長唄の演奏があった。紋付に威儀を正した唄三味線各2人、お囃子の3人により「梅の榮」を歌い納めた。素養が無いから歌詞が聴きとれないが、天神様といえば梅が付きものだから目出度い唄であったのだろう。我々レベルの者には、それよりも手締めの折の3人の鳶頭による木遣りの方が情緒があって良かった。

 最後に服制について触れる。神社本庁では正装・礼装・常装の服制を定め、身分別に規定がある。一級は黒袍(輪無唐草紋)、紫奴袴(白八藤紋)、冠(繁紋)と決められている。なお平成16年3月現在の級位者の数は、特級91、一級243、ニ級上2066、二級4579、三級・四級14563、計21542名となっている。

2011年10月 8日 (土)

(402)10月初旬

Photo_2  去年5月の松江演奏旅行に続き、今年も佐渡へ行くことになり、明朝出発する。とき309号で新潟まで行き、ジェットフォイルで島に渡り、会場のアミューズメント佐渡(佐渡中央会館)大ホールへ直行、演奏会の終了後 地元賛助出演団体との交流会に参加、翌日は一日観光にあて、夕日に最も近い宿として日経新聞にも紹介された相川温泉の「ホテル吾妻」に宿泊、大宴会を予定している。歌よりもこちらの方が楽しみとしている人も多い。3日目は午前中観光して帰途につく。私夫妻はついでにもう一日追加して、村上市を訪れてみようかと思っている。

 演奏会場のドリーミーホールは1300名収容の本格的なホールで、たまたま4日前の10月5日(水)には我々の後輩のボニー・ジャックス* がここで演奏会を開いた。先日 亡くなった大町正人君を送る会がグランドパレスであり、メンバーの西脇君と会ったので「私達の宣伝も頼むよ」と言っておいたが舞台からPRしてくれたかどうか。

 *ボニー・ジャックス 1958年に早大グリークラブOBのメンバー4人で結成した我が国を代表するコーラス・グループ。「小さい秋見つけた」で日本レコード大賞受賞。

 Photo 演奏会のチケット そんなわけでこのところ練習が忙しかった。プロと違って独りで学習するのを好まない人種の集まりだから、あわせの回数を多くしないと中々仕上がらない。3歩前進2歩後退の喜寿爺さん合唱団にとっての指揮者像は、音楽性よりか忍耐力のほうが要求される。とうとう10月1日からの3回の練習に勝負をかける というところまで追い込まれたのであった。

018 4日のウオーキング・根津神社 だが あれこれと毎日何となく用事があり、立場上あちらこちらと顔を出さねばならぬ事もある。1日 昌平小学校の運動会、3日 高校の同期会、4日 ウォーキングの会、5日 海部俊樹君の叙勲お祝う会、6日 定例囲碁会、7日 警察署の防犯区民の集いと千代田稲門会の幹事会、8日 休息、出発準備とこんな按配だった。その間にマッサージや入れ歯の調整に行かねばならない。ウォーキングは小石川の白山神社から根津神社まで歩いた。途中 円乗寺で八百屋お七の情熱に手を合わせ、光源寺で高さ6mの大観音を拝んだ。これは奈良の長谷観音の写しで金ぴかの十一面観音であった。 

最近 老化現象が著しく、何をするにも時間が掛かる。左手の具合が益々悪くなってきて、シャツのボタンどころか上着のボタンを嵌めるのも一苦労という状況になってきた。仕事上では書類のクリップ留めが出来ない。字を書く機会が減ったからいいものの格好の良い字が書けない。秋風は心地よい感じだが、左手には痛く感じて思わずポケットを探してしまう。そんなことを永年通っている病院の内科の先生に訴えたら、整形外科と脳血管外科の診察も受けることになって暫く経つが良くならない。

Photo_2 根津神社三十六歌仙絵・小町 鍼灸院にも週1回 10週連続して通ったが改善の兆しが見えない。そうこうしている間に周りの者も心配してくれて、他の病院にもセカンドオピニオンとして受診してみたらどうか?と盛んに勧めてくれるからその気になって、言い出しにくかったが資料の提供をお願いしたら、快く直ぐに作ってくれた。それを持って頸椎外科の名医といわれる先生に診察して戴いた。頸椎のMRIの写真を見ながら「お歳なりの状況にはなっていますが、おっしゃるような不具合が出るとかは考えにくい という所見です。一度神経内科に診てもらいましょう。脳のMRIも撮りましょう。」とおっしゃる。「悪いとわかれば外科ですから治して差し上げますが、そんな具合には見えません」と嬉しいような困ったようなご託宣だ。

 というわけで旅行から帰ってきてからも病院通いという用事が加わって、手帳で予定を確かめる毎日が続く。9月の末に中学の頃からの友人で、ゴルフ仲間、飲み仲間だったO君が亡くなった。一緒に歌っていた中学合唱団の同期の4人が揃ってお通夜に伺い、「次は誰だい?」と冗談を飛ばしたが、亡友の安らかな死顔を見てから、何となく力が抜けたようになってしまった。旅に出れば忘れられるかもしれないが、その死の知らせが突然だっただけに衝撃が大きい。私にも何時か訪れるその日までは、元気でありたいと願っている。

 

2011年10月 1日 (土)

(401)奥の細道ツアー第6回

Photo_2   蝉の鳴き声が止んで虫の音が高くなった。月も改まって本格的な秋がきた。今日から500話を目指しブログを再開する。まず9月13日の「おくのほそ道」ツアーの話から始めよう。(写真は阿武隈川)

 3月22日に催行される予定だった第6回目のツアーが東日本大震災のため中止となった。それは当然のことだが、それからもう半年も過ぎてしまった。ツアーが予定されていたその日の日記を読んでみる。

 「気温が低く 冷たい雨が降り続いている。被災地も寒いらしい。無情な雨だ。きのう 80歳の祖母と16歳の孫がガレキの中から9日ぶりに救出された というニュースが流れ驚いた。これが“九死に一生”ということか 素晴らしい生命力だ。」

 5回目のツアーは2月16日だった。それは「那須から芦野の里まで」として373話に書いた。そして 関東平野の北限に至り、いよいよ陸奥の国に入らんとするのが今回の旅である。第6回 「みちのくの玄関口白河より須賀川まで」日帰りのバス旅行であった。また その日の日記を転記する。

 「おくのほそ道ツアー」が復活し第6回が催うされた。日帰りツアーは今回が最後で次回からは泊まりがけとなる。だが東日本大震災の影響で太平洋側の第7回から10回までは催行を延期し、11回以降の日本海側を先に巡ることになっている。今回は朝7時半に上野を出発、28名が参加、大型バスであった。午後8時上野帰着、赤津加で食事をして帰って来た。須賀川はいい町だった。地震のつめ跡がまだ残っていた。」

【行程】<東北道>=白河:境の明神(下野の陸奥の国境)=白河関跡…白河神社・・・白河関の森公園(昼食)=須賀川市芭蕉記念館(見学)・・・可伸庵跡・・・長松院・・・須賀川城跡・・・軒の栗庭園・・・十念寺=<東北道> =バス ・・・徒歩

 このツアーの特徴は添乗員の他に講師が乗って、おくのほそ道についての講義をしてくれることだ。原文を読み下したり、曽良随行日記を紹介したり、沢山の資料をくれ、記念館で講義を聞いたりする。大概は忘れてしまうが知的好奇心を満足させるには充分だ。今回も覚えている事といったら「俳句」とは「俳諧の俳」と「発句の句」を採ったものとか、「『挙句』の果て」 *の語源ぐらいしかない。

*「挙句」 連歌の最初の句が発句(ほっく)、次が脇句(わきく)、その次が第三、以後平句となり最後に来る句を挙句(あげく)という。数名以上の人が集まり、一定のルールに従って歌を詠んでゆく。発句は一座の中の練達の士、客人などが詠み、その時節の景物を詠みこむものとされていた。 (Yahoo!百科辞典より)

 高校で「おくの細道」を習ったので、今でも断片的にところどころ思い出す箇所がある。「心もとなき日かず重なるままに、白河の関にかかりて旅心定まりぬ」とか、「古人 冠を正し衣装を改めし事など」とかの原文は、床しく風雅のある情景として覚えている。   「卯の花を かざしに関の 晴着かな」 曽良 だが私は旅行社から貰った”立ち上がれ!東北”のバッチをハンチングに刺して関に入った。

Photo2 平安時代中期の歌人 能因法師の「都をば霞とともに発ちしかど 秋風ぞ吹く白河の関」で、この地は歌枕の地として有名だが、その頃とうに廃絶しており、松平定信が現在の場所を、その跡地と認定して「古関蹟の碑」を建立したのが寛政12年(1800)というから、その111年も前の1689年に、芭蕉と曽良が訪れたのはどの辺だっただろうか?間違いなくこの辺だろうか。山内には白河神社という古社があり、藤原家隆*が自ら植えたと伝えられる樹齢約800年の杉の大木が聳えていた。

*藤原家隆(1158~1237)鎌倉時代初期の公卿で歌人、小倉百人一首には従ニ位家隆と表記されている。おさめられている歌は「風そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞなつのしるしなりける」   風光社 企画制作 絵葉書 「松尾芭蕉おくのほそ道の旅」より

 また同じく 百人一首にある私の好きな歌「忍ぶれど 色にいでにけりわが恋は ものや思うと人のとうまで」と詠んだ平兼盛も、この地名を使って「便りあらば いかで都へ告げやらん 今日白河の関は越えぬと」と詠んでいるから、歌枕の地として都に名高き地であったらしい。

 先日 白鵬の20回目の優勝と、「万理一空を求める」琴奨菊の大関昇進で秋場所も終わったばかりだが、「ニ所ノ関」が白河の関の別名だそうで、部屋の力士が毎年、発生のこの地へきて社前で奉納相撲をとるそうだ。いまは亡き力道山はニ所ノ関部屋だから、若い時にあそこで野相撲を取ったかも知れない。

Photo_3 須賀川の町を歩いて眼についたのは、写真にあるような軒に掲げた軒行灯と店の前に置かれた辻行灯だ。そこにそれぞれ好みの俳句を書いて掲げている。前に足利学校を訪れたとき、論語の一節が町の辻に書きだされていたのを思い出した。(221話)夕暮れ時になって、それらに明かりが灯ったさまを想像すると風情があるだろうなと思う。三百数十年前 芭蕉が8日間泊まったというだけで、伝統が息づいているのだとすれば、町おこしとしては成功しているのではないだろうか。

*****  

Photo最後に地震のつめ跡の写真を一つ。これは須賀川城址の本丸近くに建っていた鳥居の残骸だ。 また いまは片づけられて更地になっているが、城の堀の跡地に造成された家屋は殆んどが破壊されたとか。長松院(ちょうしょういん)にある相楽等躬*の墓は完全に破壊されつくしていた。すさまじい破壊力だと驚く。

*相楽等躬 寛永14年(1637)生まれ。須賀川宿で問屋を営む傍ら須賀川の駅長を務めた。問屋の公用や商用で江戸に赴くこともあった等躬は、江戸で芭蕉と知遇を得たようだ。芭蕉は元禄2年(1689)4月22日から29日までの7泊8日、等躬宅に身を寄せた。

Photo 秋は陽が落ちるのが早い。須賀川の地を発った時は早や暮れなずんでいた。十六夜の月が明るかった。

◇須賀川   ◇風流の 初めやおくの田植うた

◇可伸庵跡 ◇世の人の 見付けぬ花や軒の栗

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