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(288)小樽~登別~洞爺~富良野

09_1242 雲に隠れた大雪山系 15日遅くに帰京した私たちは 翌日のTVニュースに驚かされた。あの雲に閉ざされた山の中に 多くの遭難した方々が居られたのだと。トムラウシ山(2141m)で9名、美瑛岳でも1名の方が死亡したとのニュースだった。残雪が点在する山々を、雲の切れ目に 時折眺めて来たばかりだったので 一層その感が深かった。

 一昨年に続いて北海道に行きたい と女房が言い出して、前回同様 娘2人が運転するレンタカーで3日間 710kmも走った。7月7日登録の未だ400キロしか走っていない いま人気のプリウスが借りられて、娘どもは大喜びだった。千歳空港で借り、旭川空港で返却、便利なものだ。

 09_0602 昭和新山 私が行ってみたい小樽と 案内したい洞爺湖、登別温泉だけならば行程が無駄なく組めるのだが、女性軍が また富良野に行きたいというので、余計なドライブが多かったが、乗せて貰う身分としては 黙っているしかない。3日間の内 案内したかった洞爺湖周辺が晴れていたので、まァよかったか というところだ。

 宿は決めてあるが昼飯は出たとこ勝負 という旅だから意外性もある。前回は美瑛で小洒落たレストランを見つけ 成功したこともあった。昭和新山と有珠山をみて駐車場に戻ってきてから、さて昼飯は何処にしよう という話になったら 女房が大胆にも「あの サミットやったホテルに行ってみない?」と言い出した。

 娘2人は黙って私の顔みる。そんな雰囲気になったら「そうだ 行ってみよう ラウンジでお茶ぐらい飲めるだろう」と言わざるを得ない。朝 しっかり食べたからサンドウィッチぐらいで満足するだろう との魂胆だ。

 2 ケーキ選び「どれにしようかな?」 残念ながら羊蹄山は霞んで見えなかったが、洞爺湖を見下ろす眺望は素晴らしい。以前 洞爺湖温泉に泊った時、湖岸からこのホテルを見上げて、冬になったら あんなところに客が来るのかな?と思ったので聞いてみたら、「お正月は お盆同様満員である」とか 驚いたものだ。サンドウィッチもケーキも飲み物も美味しかった。11階にレストランがあるようだったが、私たちは1階で充分満足して富良野へ向かった。

 前夜の宿泊は 登別の「第一滝本館」で、その風呂のスケールは類を見ない。昭和28年 大学4年の夏 親爺が死んだ直前に グリーの親友2人と修学旅行と称して北海道を中心に2週間の旅行に出かけた。09_0492 登別、洞爺湖、層雲峡、定山渓と名だたる温泉の一流旅館を泊り歩いたが、どこでも出世払いでいいから と安くとめてくれたいい時代だった。「新婚旅行に来てくださいね」と何処でも800円でいい部屋に泊めてくれ、いい料理を出してくれた。第一滝本館は流石にその値段では泊めてくれなかったが、今回は大威張りで泊ってきた。料理も美味しかった。  第一滝本館の前で プリウスと共に

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(287)崎と埼

 7月4日(土) 一泊のバス旅行に参加した。町内会の行事なので、日曜日のグリーOB会の還暦会は欠席した。このところ土曜日曜に用事が重なり、どこへ行くべきかと迷う事がよくある。大概の場合 先約優先としているが、お役目による優先順位もあって、選択に困る事もある。

 09_072  小湊誕生寺(日蓮上人生誕の地) 町内会の会長を「最後のご奉公」と引き受けてもう数年経つが、そうなると 他の町会の会長さんや地区連合の集まりやら関連団体とのお付き合いも増え、益々忙しい。そこへもってきて 今年は選挙の当り年で 先ず区長選挙が行なわれ、次いで都議選が行なわれ、近く衆院選挙も行なわれるらしい。

 どの候補者も色々な組織団体を通じて組織票を固めようと努める。地元住民には町会長に一肌脱いで貰えれば助かるから、機会を通じて町会長に接近しようとするし こちらも業界や町のことで「何か」をお願いした事もあったから そ知らぬ顔も出来ない。黙って何もしないで当選出来る人などいないから それは当然だが いざ選挙となるとお手伝いやら何やらと動員されるようにもなり、色々な経験をした。だが応援した候補者が“国政の風”のあおりを受けて、ごく僅かの差で惜敗したのは残念だった。勝った候補者も今度の勝ちはフロックだと受け止めないと次回の勝ちは無いだろう。

Photo 今日はバス旅行で訪れた房総半島の最南端「野島埼灯台」で気がついたことを書く。地名は「野島崎」であった。家に戻って改めて地図を見ると、内房の最突端の潮崎にある灯台名も「潮埼」であった。それではと かの有名な「犬吠埼」を探したら地名もその通り、パソコンも「埼」と変換した。「山崎」「大崎」のように「崎」は何となく何かの下に使われ、「埼」は埼玉県で慣らされていたのかもしれないが、「先」(サキ)にくるような感じをもっていて『○○埼』というのは誤りではないかと一瞬疑ったがそれは私の勘違いであった。

 いま練習中の曲が「岬の墓」だから余計に感じるのかもしれないが、北は「襟裳岬」から始まって 台風情報では「潮岬」、「室戸岬」、或いは最南端の鹿児島大隅半島の「佐多岬」まで「岬」という字に灯台が似合うような感じがするが「御前崎」、「石廊崎」とか聞きなれた地名もある。だが地名と灯台名が違うというところがあるのを初めて知った。

 手元にある簡易な地図でみると「●●埼」という地名は大変稀で、関東付近では犬吠埼と塩屋埼だけだった。他はみな「崎」だから、灯台の名称に「埼」が使われているのか興味が湧いた。それでは昔行った観音崎はどうだったか?とグーグルで調べてみた。

 やはり観音が正式名称らしく、その理由は「地図」を管理する国土地理院は『崎』を使い、「海図」や灯台を管理する海上保安庁は『埼』を使っているようだ。夫々の前身は陸軍と海軍だから、未だに統一が取れてないらしい。だから解説には「岬を陸から見たときは山偏の、海から見たときは土偏のと表す と覚えておけばよい」と書いてあった。下らん事が残っているものだ という感想でした。

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(286)ほこ天

 「風天」は寅さん、「ほこ天」は歩行者天国のこと。秋葉原無差別殺傷事件から一年が経って歩行者天国を復活するのか否か、するとすれば何時ごろか?ということがマスコミで取り上げられ、地元の万世橋地区連合町会でも話題となっている。

004 半田祐治画「神田百景」から 正面のビルの北側に電気街が広がる 歩行者天国の開放感を体験した人は、総論として 復活が賛成だと思うし、地元の商店会の人も商売柄賛成だろうと思う。昨年のような事件が起きたのは、今年起きた大阪のパチンコ店の放火殺傷事件と同様に、町に責任があったわけではないとも思うのだが、再びあのような事件が起きては 秋葉原の評判が落ちて致命的となるから、「ほこ天」を復活するならばそれなりの準備をしてから と、関係者が学識経験者等を招いて幾度となく会議を重ねてきた。

 検討会は 秋葉原のイメージを回復し、誰もが安心して買い物ができ、まち歩きを楽しめる環境を作るため 総合的な取り組みが必要であるとして 各種の提案をしているが、具体策として纏めるには お金がかかる事も多く 直ぐには実行に結びつかないから とりあえず 期間:7月18日(土)~8月23日(日)に「アキバグリーンフェスティバル2009~秋葉原から環境貢献~」という盛り沢山な事業を区等が主導して実施し、町もそれらの事業に協力する事になった。

 いまその内容を説明する心算は無い。町に住み、町会を支えている地元の住民にとって、アキバの変貌は 住環境を日一日と悪化させているのだから、素直に「ハイ」と声を上げられないな と思っていたら、7月4日(土)の日経新聞に次のような特集記事「U-29年表で読む」が出た。以下に書き写す。

 世界が注目する「クールジャパン(カッコいい日本)」の発信基地、東京、秋葉原。家電やパソコンが安い店が、約600㍍四方の狭いエリアにひしめく「電気街」のイメージも今は昔。アキバ(秋葉原)で家電、と言われてもピンと来ない「U-29(29歳以下)」世代は多い。日本の産業構造の変化を先読みしてきた街の歴史をたどってみるとー。

 として①~1960年代:② 70~80年代:③ 90~:④ 2000~と分け①は家電の時代、②オーディオブーム;ほこ天開始;神田青物市場移転、③家電の街からパソコンへ;オタク文化の発信地に、④メイド喫茶開業;ヨドバシカメラ開業:秋葉原クロスフィールド全面開業;ラオックス閉店 と簡単な年表が付いて判りやすく解説している。

 両親と子供の会話として見出しには「秋葉原のルーツは家電なの?」「今ではサブカルの発信地だね」とあった。サブカルとは?グーグルで検索して画面を見ていたら、「お父さん何みているの?メード喫茶調べてるの?」と笑われた。coldsweats01

 

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(285)半年終わる

 6月30日 今年も半分終わった。貴方は“もう半年経った”と思うか或いは“未だ半年ある”と考えるか どちらのタイプですか?と何かに書いてあったが、月日の経過が早くなったと感じられるようになった近頃では「もう半年終わってしまったのか」と嘆き節が出てしまう。私は“あら~8”になっても毎日結構用事があって、それなりに忙しく 時間を気にしながら暮らしている。

 今日は涼しいが 昨日は雨の予報が外れて 朝から快晴で暑くなった。会社に行って,未だ読んで無かった27日(土)の夕刊を手にすると、一面に「夏本番の日差し 関東 今年一番の暑さ」とあった。涼しい事務所にいると2日前の暑さを忘れてしまい「そうだったかな?」と手帳を開いてみた。「そうそう土曜日は暑かった」。たった2日前のことでも、環境が良くなれば悪かった時の事は忘れてしまう。だから凡人は もっと もっとと欲を出してキリが無い。

 土曜日は その翌日にある渋谷CCレモンホール(渋谷公会堂)での演奏会のゲネプロ(通し稽古)があって、会場の実践女子学園まで出かけて行ったのだが 駅からの坂道は暑かった。大汗かいて 家にいたら下着のシャツを取り替えたい程であった。会場はクーラーが効いていて快適だったが、今度はじっとしていると下着が冷たくなり、うっかりすると年寄りは風邪を引く。

 Cc 「オーケストラと共に歌うチャリティコンサート初夏の風に乗せて~世代を越えて、障害をこえて~」とチラシにあった。女性指揮者の松尾葉子さんが総監督で主催は第2回世代間交流コンサート実行委員会、共催は渋谷区、我々は去年に続き2回目の出演だ。第1部が渋谷交響楽団の演奏と 渋谷区合唱連盟と当シニア会の3団体、第2部は松尾さんが指揮するプロオーケストラの演奏の後に、小学生から95歳のお爺ちゃん達大部隊の合唱が加わって,小学唱歌などを会場の皆さんと歌った。

 2000人から入る大ホールでオーケストラと一緒に歌うのは気持ちがいい。このホールは 昔ショスタコーヴィチの「バビヤール」の初演で歌ったとき以来だ。終演となって仲間は打ち上げ会場に急いだが,私は別の約束があって、上野の文化会館小ホールへ中国のソプラノ趙 非さんの「世界の名曲を歌う」コンサートを聴きに行った。開演前に着いて、会場内にある精養軒でやっとビールにありついて落着いた。

 渋谷の会場を出ようとしたときバッタリ松尾先生に会った。「あらFさん」例の調子で気さくな方だ。もう何年もお話しする機会など無かったのに 良く憶えておられるものだと感心した。私は先生の弟子の三ツ橋さんが国際コンクールで優勝したお祝いと、日経の夕刊に先生が書かれていた記事を読んだ と手短に喋ったが、折角の機会だったのだから、三ツ橋さんの後輩をシニア会に紹介してくれるよう頼めばよかった と後になって気が付いた。幾つになっても妙齢の女性と喋ると肝心な事を言い忘れる癖が抜けない。

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