(280)真夜中の電話
5月27日の午前3時すぎに枕元の電話が鳴った。母が亡くなったのかな?と一瞬思って受話器をとったが電話の主は、前日 妻である私の妹の病状の報告に来たYさんだった。「12時の診まわりの時は正常だったのですが、2時55分呼吸停止が医師により確認されました」という話であった。それから私は朝まで眠りにつけなかった。
中島千波「神池花菖蒲」2005年 四曲一隻屏風 3年前に末の弟を62歳で喪い、今また すぐ下の妹を75歳で喪った。寿命と言えばそれまでだが、人はそれぞれ持っている寿命を知らないから幸せなので、母のように102歳と長命であっても 2人もの子供に先立たれては、必ずしも幸せとは言えないような気がする。だが良くしたもので、母のボケはすっかり進んで 人の識別どころか自ら食事もとれず、ただ生かされて 殆んど寝ているだけの毎日だから、哀しみも苦しみもないように見える。
3年前の弟の葬儀の時は、福祉タクシーを頼んで斎場まで連れて行ったが、今度はそれも難しくなったから、妹死去の知らせのあった日の午後 病院に報告に行くだけにした。「T子が死んだよ」と言っても反応は無いのだが。
与 勇輝「人形芸術の世界」 父が亡くなった昭和28年 妹は都立九段高校の3年生だった。その年の10月に姉が嫁に行ったので、家では兄弟の先頭に立って母を助け、私の仕事も手伝ってくれた。私が結婚して2年後の37年に 縁あって小学校の一年先輩のYさんと結婚した。その後は下の妹2人が代々事務方を引き受けてくれたので、私は大いに助かった。
当時 少しでも経費を節約すべく、会社の決算は勿論 税務の申告書も自分で書いていたが、ある年の5月 申告書の提出日直前に虫垂炎の手術を受ける羽目になり、とても提出期限を守れそうも無いので、妹に 無理を承知で税務署に期限の延期を頼みに行かせた事があった。恥ずかしい思いをさせたと今でも後悔している。
亡くなった前日に 娘のY子さんの介助で入浴し、洗髪までしたと聞いた。亡くなった日の午後、遺体が根岸の自宅に帰ったとの知らせを受け、花と線香を持って早速弔問した。葬儀屋さんに薄化粧をしてもらい、きれいな顔で眠っていた。
通夜は5月30日(土)午後6時から、告別式は31日(日)午前10時から菩提寺の池之端 教証寺で営まれた。法名 緑遊院釈尼喜愛 緑が濃くなったこの季節に亡くなられたから と住職の説明があった。
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