(284)最後の手紙
「法輪寺」平山郁夫スケッチ集より何年か前に亡くなった小学校時代の幼友達から届いた 最後の手紙がここにある。いつか捨てられてしまうものだから、ここに写しておけば命が残るようにも思えるので、思い切って転記した後 私の手で処分することにした。このブログを読んでおられる方の非難は覚悟の上で。
F様 お励ましのお手紙有難う御座います。私はこの“ホスピス病棟”で平和な日日を送っています。スタッフの人々が皆とても親切で有難いことと感謝しています。以前“整形外科”に通った時(午前中は年寄りばかりです)ボケ老人やら いろいろの悲しい老人を見て 80歳になるのがとても怖く感じていたので、まあ これで良かったかと最後の日を迎える心の準備も出来ています。命がたとえ短くなっても 痛みは極力抑えてくださるよう頼んでありますし どうぞ お気にかけないで下さい。Fさんはじめ 皆様旧友の友情には深く感謝しています。どうぞこれからも元気な人々で同期会を続けてくださいね。
先日 病室で雷を聞いたときは 小学校の頃を思い出しました。一つは一年生の時、私は家では雷が鳴ると必ず泣いたので この時は学校で泣くわけにはゆかないし、どうしようと思っていましたら 私より先に泣き出す子(確か男の子)がいて 何だか安心したこと。そして 当時の担任のM先生が元気な子を前に出して、先生のオルガンで踊りなどしたこと。
その時「まさかり担いで金太郎・・・」の金太郎の歌を何人かの前に出た子が踊り、私など席にいる子は大きな声で歌をうたい 雷がちっとも怖くなかったこと。当時の雷は今より凄かったけど 終わるのも早くて すぐ日が射して来て門のところに行ったら、女中さんとか小僧さんが ズラリと並んで迎えに来ていたこと(私は先生に雷雨の中を帰れと言われたら どうしようと思っていたのでM先生の優しさがとても嬉しかったこと)その後 金太郎の歌と雷がつながっています。
もう一つは これは昭和15年です。夜ひどい雷があって 当時大手町にあった大蔵省が全焼したこと。(これは あなた方のコンサートに行く時、四谷3丁目の駅にあった消防記念館の新聞で確認しました)周りの大人達が 神田明神から「平将門」の祭神を、逆賊だからとして抜いた「たたり」だなんて話していたのを憶えています。以来 私は雷が怖いのです。
「夕月富士」 牛島憲之 いろいろ思い出は尽きませんが もうこんな字しか書けないので どうぞご判読下さい。私は以前から 70過ぎたら手術はせずホスピスで死ぬ。葬式はしない。骨は海に散骨と決めています。死者は生者の邪魔をしてはいけませんから どうか私のことは 気にかけず忘れて下さい。申すまでもありませんが お見舞いとか香典は一切なさらないで下さい。家族とも そう決めていますので。(失礼な言い方ですが煩わしいのです)
煙草は私も家族の誰一人吸わないのですが 現在は珍しいことではないとのこと、大気汚染がそれだけ進んでいるのでしょう。お元気に ゴルフにコーラスに励んでくださいね。皆さんはボケ老人にはならないから大丈夫です。どうぞどうぞ残された人生を健やかに楽しく送って下さい。これが私の最後の手紙となるでしょう。わざわざ国宝絵巻のハガキを全部揃えて下さって 本当に有難う御座います。乱筆 乱文 お許しくださいませ、御礼まで かしこ 7月2日 「S」
Sさんは筆まめな方でよく手紙を寄越した。ある日ふと思いついて、Sさんへの返事をその時から、奈良で買った絵葉書、護孫子寺所蔵の「国宝 信貴山縁起絵巻 飛倉の巻(山崎長者の巻)」16枚を使って書くことにして その旨を記し 1枚目から順次お送りした。どういう風に絵巻が移ってゆくかの興味もあろう との遊び心であった。いま転記した手紙の前の手紙で もう余命いくばくも無いと伺って、未完のままでは気がかりだろうと思い、残っていた数枚を纏めて送ってあげた。
このお手紙から暫くして Sさんが肺癌で亡くなられたと ご家族から電話があった。なお お手紙に出て来た童謡「金太郎」の作曲者田村虎蔵は 私たちの小学校の校歌の作曲者でもある。
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