(266)稲むらの火
先日 「醤油醸造300年 その歴史と現在の課題」のタイトルでヤマサ醤油の浜口社長さんのお話を聞く機会を持った。創業1645年(正保2年)という。和歌山県湯浅から千葉県銚子に移住して醤油醸造業を始めた初代の方は 浜口儀兵衛という。今の社長さんは14代目とか?おっしゃった。洒脱な方で楽しいお話だった。
今日ご紹介する話「稲むらの火」は、私が小学校5年生の時に習った「小学国語読本巻十」に載っていた話でよく覚えている。先日 NHKのテレビ番組【その時歴史は動いた】でも取り上げられ、たまたま私も見たが、この時 女房に「小学校の時に習った話だ」と喋ったばかりだったので、今日の社長さんのご先祖様と聞いては、一層 話しに身が入った。
「稲むらの火」の粗筋は次のとおり として伊藤和明氏が【津波防災を考える】という文章の中で書かれていたので、ここで紹介しよう。
「ある海辺の村の高台に住む庄屋の老人が、気味の悪い地震の揺れを感じた後、海水が沖へ向かって引いていくのを見て、津波の襲来を予感した。そこで彼は自宅の田圃に積んであった稲むら(刈り取ったばかりの稲の束)に火を放って、庄屋の家が火事だと思わせ、村人全員を高台に集め、津波から救った。」
軍国調の教材が多かった中で、この物語だけは私達の心に深い感銘を与えたから、今日まで覚えていたのかもしれないが、これは実話で 1854年(安政元年)紀州和歌山藩広村で安政南海地震のさい、実際にあった話がもとになっているという。
その後、浜口儀兵衛は、村を将来の津波から守るべく、莫大な私財を投じて大堤防の築造に着手、4年の歳月をかけて完成した堤防は1946年12月に起きた昭和の南海地震の際に威力を発揮し、広村を大津波から守ったという。
NHK TVの番組は、この大堤防建設の話だった と記憶しているが、「稲むらの火」の実話をもとに、ラフカディオ・ハーンが“A Living God”(生ける神)という表題の短編を書いて、1896年にアメリカの「大西洋評論」誌に発表している。
ハーンはこの年、2万2千人もの死者を出した明治三陸地震津波の大災害と、かっての浜口儀兵衛の美談を知り、この短編を書いたのだと思われる。先日インドネシアで大津波が起こり、「ツナミ」というのが国際語なんだ と知ったが、もしかすると ハーンの短編が「津波」を国際語にしたのかもしれない。
1983年5月の死者104人を出した日本海中部地震の時は、よく晴れた日の昼間だったので、海岸に出ていた行楽客などが津波に呑まれたが、2人の先生に引率された小学生45人が、砂浜でお弁当を拡げ始めた時に、海面が突然壁のように盛り上がって津波が襲ってきたという。目的地近くまで来た頃、強い地震を感じたけれど、海岸に着いた時は海は静かだったのだ。
この時、13名の子供が犠牲となったが、「もし あの教材が残っていたら、この悲劇は防げたかも知れない」という声が上がったそうだ。
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