2012年1月28日 (土)

(418)幸福の晩酌

Photo_2 先日 娘2号のお友達から野澤幸代著「幸福の晩酌」(中公新書クラレ)というご本を頂いた。1月10日付朝日新聞の中央公論新社の広告にも出ていて、1月の新刊・話題書として紹介されていた。“胃と心にやさしい94皿”のおつまみのレシピが書かれている。

 「男子 厨房に入るを許さず」と育った人間が、この種の本に眼が向く筈がないし、3食賄って貰っている身の上でこのような本を買って来て渡したら、「近頃のオカズ気に入らないの?」と言って凄まれる恐れもある。だが娘からの依頼となれば、晴れて覗いてみようかという気になった。

 日本酒、ビール、ワイン、焼酎、その他のお酒に合うおつまみを、春夏秋冬の季節別に紹介し、調理法別にも頁の索引があって、切るだけ・混ぜるだけ・焼くだけ・炒めるだけ・煮るだけ・蒸すだけ・漬けるだけと簡単に調べられるようになっていて便利に出来ている。調理時間、難易度、2人分の材料など新婚さん向きだと思うが、たまにはベテランも、心を開いて読んでみてもいいだろう。

 例えば「塩麹」。我が家では使っていないから、その効果も知らない。「炒め物や煮物、スープの味付けに塩と同じ感覚で使え、作りなれた料理に少し塩麹を加えると、味が複雑になって新たなおいしさが生まれます」として「白菜のいきなり塩麹漬け」が載っていた。

 調理時間5分、難易度1.「刻んだ白菜に塩麹を混ぜ、たった30秒揉むだけで浅漬けの完成!」とある。糠味噌漬けを欠かさず食膳に供しているカミサンにとっては、何だそんなものという感じだが、たまには浅漬けも日本酒のおつまみの彩りになる と思っていたら、先日NHKのお昼のテレビで神田明神前の麹屋さんが紹介され、ご主人とこの本の著者が出てきて塩麹の作り方を説明していた。

 本書のもとになったのは、2009年新年号から始まった「婦人公論」のイラストエッセイを、取りまとめたようだから雑誌の愛読者には先刻お馴染みだったのだろうが、野菜が主のメニューだから年寄り向きでもある。そして色々の酒との組み合わせが紹介されているから、日頃飲んでいないお酒も試してみようか という興味もでてくるから酒もすすみ、団欒の時間が増えて楽しいだろう。

Photo このところ寒い日が続いているが、23日の夜にはいっとき雷も鳴る激しい雪が降った。その降り方に高田三郎作曲の組曲「心の四季」(吉野 弘詩)第6曲「雪の日に」を思い出した。そんな夜は盃を重ねたいと思うものだ。

 「雪が激しく降り続ける うわべの白さで輝きながら うわべの白さをこらえながら /雪は 汚れぬものとして 何時までも白いものとして 空の高みに生まれたのだ その悲しみをどうふらそう/雪はひとたび降り始めると あとからあとから降り続く 雪の汚れを隠すため」 詩はまだまだ続くがこの辺で。

2012年1月21日 (土)

(417)喜寿記念旅行

Photo 416話で少し触れた女房の喜寿記念旅行が今回のお話です。日頃からお世話になっているオバアチャンのイベントですから欠席者は一人もなく、総勢16名の団体旅行となりました。happy01 以下に行程を書くと、

10時半横浜・石川町駅に集合ー中華街を散策・横浜大世界に入館し、トリックアートを鑑賞後3班に分れて好みの店で昼食を取り、再び石川町駅に集合、合流して東海道線にて小田原へ、箱根登山電車に乗り換えて強羅まで、宿の千代田荘には午後5時到着で少し暗くなっていた。翌朝は9時半に宿を出て、強羅公園 体験工芸館に入って物造りを体験、熱帯植物館やブーゲンビリア館などを散策してから、駅近くの写真館で記念撮影をし、宮の下まで電車に乗って富士屋ホテルに至り、1時半から3時過ぎまでメーンダイニングルームでゆっくりとランチして箱根湯本に戻り、既に暮れた相州路をロマンスカーで新宿まで、到着後解散した。

 横浜大世界のトリックアートは色々な仕掛けがあって面白い。手品のように種があるのだろうが判る筈もなく只々感心するばかり、一度体験されたら如何でしょうか。中に3Dのミニシアターがあり幾つかの短編を見た。ディズニーランドでも見た覚えがあるが、立体感が増幅されているので、見慣れた泰西名画が違った印象を受ける既にテレビ受像機やゲーム機も発売されているらしい。作品によっては映画館で3Dの映画を見てみたいと思うが、お茶の間に持ち込むのは刺激が強すぎるから、モノクロのテレビがカラーになったように、従来の受像機にとって代わる事はないだろう。今日(21日) 以前ここでも紹介した「Always3丁目の夕日」の続編が3Dで公開されるそうだが、あのような映画で3Dにする意味があるのかどうか疑問だ。

Photo_3 私の傘寿旅行の時も(277話)ここへきて、別室をとってもらってファミリーだけの宴会をしたが、お座敷では座るのがきつくなってきたので、今回は大食堂の一隅を占拠した。小学生2人を除く全員が生ビールで乾杯、前夜祭が始まった。小生は日本酒を追加して按摩さんにかかって早く寝てしまったが、皆さんは幾つものグループに分かれ12時過ぎまで遊んでいたようだ。

翌朝は9時半に宿を出て強羅公園まで歩いて行った。正月2日の駅伝では、こんな坂道を駈け登るのだと思い感心することしきりであった。Photo_4今の時期 公園は何の花も咲いてないので殺風景だが、今回の目的はクラフトハウスに入って、この思い出をカタチに残そうというプランであった。吹きガラス・陶芸・ドライフラワーアレンジメント・グラスの絵柄を刻むサンドブラストの4グループに分かれて、係員の指導を受け、世界に一つしかないオリジナルの作品を作った。この企画は好評で、ここだけを目当てに改めて来たいという孫も多かった。

 生憎の曇り空で気温も低かったが幸いに風もなく、もと来た道を下って強羅駅から宮ノ下まで電車に乗り、いよいよ旅行のメーンイベント富士屋ホテルのランチとなった。クラシックなメーンダイニングルームの佇まいに、やんちゃな孫どもがおとなしく神妙な顔をして着席しているのが面白かった。日頃の感謝を表すにはここ一番と張り込んで、シャンペンで乾杯したのは豪華であった。ボーイさんの許可を得て全員で“ハッピー・バースデイ”を歌った。女房は嬉しそうだった。今までに最高の笑顔であった。

Photo 食堂には他のお客さんも多数おられたので、娘や孫どもは普段の元気は何処へやら、ビビって蚊の鳴くような声しか出さず、結果的に私の声だけ目立ってしまった。孫6号の男の子が照れくさそうに「おじいちゃん いい声してるんだね」と褒めてくれた のが可笑しかった。冒頭の写真は ランチメニューに書かれてあるデザートの“皇族の方々に愛されたチョコレートナッツサンデー”だが、事前に会食の趣旨を知らせておいたので、女房殿のお皿だけ特別にチョコレートで「祝 喜寿」と書いてくれた。今回の旅行は全て娘達が企画立案してくれてスムースに進行した。今は写真館で撮った写真の出来上がりを楽しみに待っている。

2012年1月14日 (土)

(416)機能訓練

 あす15日は女房殿の誕生日。これが喜寿という節目の年なので、一族郎党を引き連れて箱根は強羅の千代田荘で宴会をしようと決まり、前日の14日は横浜あたりで遊んでから、暗くなる前に現地に到着する予定。トランプ、花札、百人一首、ゲーム機を持ちこんで一晩じゅう騒ぐらしい。年よりは想像するだけでも疲れてしまう。委細は417話のお楽しみとして表題に戻る。

 411話「師走」で書いたように、この11日から機能訓練が始まった。毎週水曜日の朝9時にお迎えが来て、九段下の保健所の多目的ルームでパーソナルのメニューに従って機能回復の訓練が約1時間施され、お茶をご馳走になってから自宅まで送って下さる。何か申し訳ないような気になってくる。何回か通ってメニューを覚えてしまったら、一人でやりなさいということになるのかどうか判らないが、私のような怠け者は、その気になっても毎日続けることが難しい。

 挙措動作が遅くなって思うように行かない時は女房の手を借りる。最近 朝の着替えが寒いので、寝室横の脱衣所に暖房を入れてみたり、上着の着脱も難しくなったが、周りの人にお願いすれば、皆さん親切に手伝って下さるので、今のところは病気を深刻に考えていない。「頭を使ってボケ防止 毎日明るく夢持って」と頂いた健康手帳の「健康・長寿の10カ条」にも書いてあった。

 今年に入って早々東大病院に行き、主治医の診察を受けた。「具合はどうです?」「少し進んでいるようです」「そうですか、リハビリ受けてますか」「はい これからです」「そうですか」といって私の腕を取り、2~3回動かして「良く動くじゃない、大丈夫、暫く様子を見ましょう、さて次回は」という按配で5分で終わり、伝票を頂いて会計へ行く。

 日本一の大病院とあって、患者が多数押し寄せるから支払でも待たされる。受診の予約時間はほぼ正確だが会計が済むまで時間がかかる。検査で何回か通院して、そのことを知り合いに話したら「会計の手続きが終わったら、支払いは機械なんだから、どこかでお茶でも飲んで時間を潰しているんですよ」と教えてもらった。

Photo そこで今回は悧巧になって、会計の手続きをしてから15階にあるレストランに行き、付き添いの女房と昼食を食べてきた。上野精養軒が運営しているので客扱いも良く、景色も良い。その日はよく晴れて遠く筑波山も見え、近くは不忍池も見下ろせる絶好の眺めであった。メニューを見たら、ビールもワインもある。通院のついでに酒を飲むのも流石に不謹慎だと思うので、陽気が良くなったら夕方にでもここへ来て、食事をするのも悪くないなと言って笑った。時間を有効に使って、帰りは近くの麟祥院に立ち寄って春日局の墓に案内し、湯島天神へ初詣に行って来た。受験生やその家族で境内はまだ賑わっていた。

2012年1月 7日 (土)

(415)迎春

10                           新年明けましておめでとうございます

 災いごとが多かった2011年が暮れ新年を迎えました。被災された方々に思いを致せば、無神経に“おめでとう”とは言いにくいお正月ではありますが、慣習に従いご挨拶申し上げます。今年こそ皆様方にとって良い年でありますようお祈りしております。

 カレンダーの1月の図柄に富士山が使われることが多い。頂いたANAのカレンダーの1月も「荘厳な富士の日の出に幸多かれと祈る」と添え書きのある富士山の写真で、ご来光がまぶしい。だが ご来光と富士山を同時に撮ったこの写真は、山が西向きだから蔭になってしまい山容がボケて何となく冴えない。ご来光が湖面に輝き富士のシルエットが浮かんでいるという構図ではあるが、元気が出るような写真ではない。光と蔭を同時に満足させようとするのが土台無理な話で、昔から「二兎を追うものは一兎をも得ず」という。

Photo 冒頭に掲げた絵は萩原幸彦の箱根富士から「春うらら」を選んで貼り付けた。左の絵葉書は葛飾北斎の「富士越龍」である。諸事不安なご時世だけに、こんな龍がいくつも登らないと元気が出ないのではないか。当面の弥縫策に追われ、チマチマやっている政治を見ているとそんな気がしてくる。20年もだらだら坂を下りてきて、一足飛びに元の高みに戻ろうと焦っても出来る筈がない。経済再生、財政再建のために何年かの期限を切って国民に協力をお願いし、官民一体となって努力する体制を作らないで、ばらまき民主主義を続けていられる筈がない。「年末株価29年ぶりの安値」の文字が、大晦日の日経の一面にあった。昭和58頃と同じ水準だが、あの頃は明るく元気があった。今はどうだ?

 しかし経済の再生を図るために 今までにさんざやってきて、莫大な国債という名の借金を作ってしまったが、効果があったとは思えない。今はその尻拭いをやらねばならない状況になってしまったのだから、しっぺ返しは享受しなければならないだろう。二兎を追うべきという評論家や政治家の論調は、眉に唾をつけて聞いた方がいい。

 暮の30日から「吉村昭の平家物語」(講談社文庫:555頁)Iを読み始めた。去年の夏 同氏の「関東大震災」を買ったときにたまたま横にあったので買い求め、そのまま放ってあったのだ。平家物語にあるお話は断片的に殆んど知っているが、通して読んだことが無かったので何時か読もうと思っていた。たまたま今年の大河ドラマが「平清盛」に決まって明日から始まるが、古典は平家の興隆については殆んど書かれていないからドラマとは関係ない。だが輝かしい興隆、栄華を描くことで衰退、滅亡の哀れが際立つと思うので、そのようなシナリオになっているのだと思う。日本が平家の轍を踏んではたまらないと思うのだが如何なものだろう。

 女性はおせち作りに忙しく、婿さんは忘年ゴルフ、私は優雅に読書の暮であった。お正月は今年も昨年同様、元日に次女の家族とお雑煮を祝い、2日は浅草のお寺さんへお墓参りへ行き、3日 テレビで箱根駅伝を観戦してからNewYear Operaコンサートへ行き三が日が終って、4日 年賀状の整理、5日は東大病院へ通い始めという変なことが新たに加わった。6日 町会の新年会、7日オールワセグリ会でグリークラブのOBと現役に会う。8日 兄弟の新年会。9日 シニア会の初練習で一年が始まる。

 7日から寒の入り、北風が寒い。だがあす8日から初場所大相撲が始まり、大河ドラマ「平清盛」も始まる。さあ 元気を出して今年も行くことにしよう。

 今年もよろしくお願い申し上げます・

 

2011年12月31日 (土)

(414)大晦日

Photo_2  今年も暮れる。3月11日の東日本大震災から始まって和歌山の洪水、ギリシャの経済危機やらユーロの下落と毎日騒がしく、年末になって北朝鮮の金 正日総書記の死去が伝えられた。原発の爆砕による汚染のニュースも毎日取り上げられ、いちいち気にかけていたら神経が参ってしまう。この先どうなるのか下々の我々にはさっぱり見当もつかないから、危機をあおるような本や記事には眼を向けないことにして、風の吹くまま気の向くまま、“フウテンの寅”よろしく暮らして行くことにした。

 上の写真は シニア会の佐渡演奏旅行でお世話になった重政さんが 10月11日に自宅から写して送って下さったものだ。夕日は何となく淋しい。これからは お国のことも心配だが、小生も左手の不具合、左足の引きずりが 何とか症という10万人に2人が発症する病気との診断が下り、先生から 付ける薬はないからこれからはストレッチとか リハビリ体操に励みなさいと言われてしまったと書いたばかりだが、自分のことがやはり一番気にかかる。

 病気の進行を遅らせるためにも ウォーキングに励むべきなんだろうが、不良の患者でついつい怠け癖が出る。通勤がないからその気になって暮らさないと全く歩かない。それでも毎日の歩数は必ず記録していた。8月から11月まで概ね一日4千歩強しか歩いていなかったところに寒くなってきて、12月はそれも怪しくなってきたので、クリスマス寒波が来て眞冬並と言われている寒空なのに、せっせと歩いて挽回に努めている。

Photo 12月のウォーキングは雨の予報であったので中止してしまったから、毎月行事のグループウォーキングは11月が最後で 中断したままになっている。この時は庭園の後楽園を訪ねるのが目的だったが、それだけでは歩数が伸びないので、丸ノ内線の本郷3丁目駅から本郷薬師周辺を歩いて後、文京区の「ふるさと歴史館」に行き展示物を見学し、坪内逍遥の住居があった炭団坂を下り、今も残る樋口一葉の住居跡をみて、彼女がよく通ったという「伊勢屋質店」の前で写真を撮り、東京ドーム脇を経由して目的の後楽園まで歩いた。

Photo_2 サラ金など小口金融が発達した今日、質屋さんは珍しい。質草の価値以上に借りられないという制度?が借主の破滅を防ぐ。今は安易に借りられるだけに自制心のない人には危険な世の中になってしまった。樋口一葉は一家を支えるために、この質屋さんのお世話になっていたらしい。彼女が亡くなった時、この店の主が下谷の竜泉に引っ越した一葉の住まいまで香典を届けたと 伊勢屋さんの前の掲示板に書いてあった。才媛の美女の若すぎる死を惜しむとともに、それほど昵懇(じっこん)にしていたのだろうとも思った。

 その当時は貧富の差が激しく、貧しい家の子は幼い頃から小僧や子守りとして親元を離れ、商家で働いた。私の家にも夜間の小学校(中学の誤りではない)に通う小僧がいた。一葉の短編小説「大つごもり」を改めてネットで読み、去年103歳で亡くなった母から聞いた大正初年頃の大晦日の情景を思い起こした。

 いうまでもなく「大つごもり」とは「大晦日」のことだ。今年は区切りよく今日の土曜日で終わる。一年のご声援に深謝するとともに 明年も続けられるよう元気でありたいと願っている。

 ここまで書いたところにプロゴルファー杉原輝雄の訃報を聞いた。ゴルフを諦めたからか、このところゴルフの夢をよく見る。なのにこの知らせだ。好きな選手だっただけに寂しい思いがする。

 今年もお世話になりました。皆様良いお年を!

2011年12月24日 (土)

(413)年末ドライヴ

Photo  弟が新車を買ったので、ドライヴに行きたいから姉さんと付き合ってほしいと言ってきた。昔は子供達を乗せてアチコチ大家族で遊びに出かけたものだが、今は子供達も仕上がってそうした機会が無くなってしまい、夫々の親族で出かけるのが常だから、二組の夫婦だけのドライヴとは珍しいことだった。

 行く先は箱根湯本.。真っすぐ行くのも詰まらないから、中央道からヤビツ峠(標高761m)を越えて行くという。私は免許証を返納しているので、私等は連れて行って貰うだけだ。後部座席に座って悠々と景色を楽しんだ。中央道は相模湖東で降り、宮ヶ瀬湖にかかる虹の大橋を渡ってヤビツ峠に向かった。県道70号線・秦野清川線の道路幅は次第に狭くなり、車幅の大きい車では対向車との擦れ違いに運転の技量が試される。初心者は小型車で行くようにお勧めする。

Photo_3 北向きの日蔭には数日前に降ったと思われる雪も残っていた。暖かな都会地から一寸走っただけでこんなにも変わる。気温が低ければ氷結するからウッカリするとスリップ事故を起こしてしまう。結婚した年の3月15日に箱根でスリップして、危うく路肩に落ちかけたことなど喋ってる間に峠を越えた。丹沢山と大山の間を縫うように走り、菜の花台に出た。標高550メートルのそこから見下ろす秦野の眺望は素晴らしい。ネットに綺麗な夜景が載っているので「ヤビツ峠」で検索してご覧下さい。

  峠名の由来は甲州の武田勢が南下して、相模の北条とこの地で合戦に及び、その際打ち捨てられた矢櫃が沢山出てきたからと伝えられているが定かではない。甲州路から至る道を「裏ヤビツ」といい、秦野からの道を「表ヤビツ」というそうだ。下りは、勾配が急だが道幅が広がるので走り易い。

Photo_2 予定の時間に宿に着き、入浴前に庭園を散策した。この宿も何回か団体旅行できているが、こんなに立派なお庭があるとは知らなかった。岩崎弥太郎の二代目弥之助の住宅が保存されており、国の有形文化財に指定されている。夕食は地酒「箱根街道」の吟醸をしっかり飲んで酔い、早く寝てしまった。

 運転手には気の毒だが、旅館の朝食にビールの一杯は欠かせない。朝風呂の後だからこれが美味しい。ゆっくりと出発して滝通りをのぼり、畑宿を経由して箱根道の駅で一休みしてから、芦ノ湖スカイライン、箱根スカイラインを経由して御殿場に降り、軽い昼食をとって、東名で帰って来た。Photo 山の上は晴天だったが風が強く寒かった。そんな条件でもゴルフのプレーに興じてる人を見かけたが、私達も昔はそうだったと言って笑った。三国峠から御殿場方面の眺望は、富士山の裾野が長く引いて素晴らしかったが,肝心の山頂がすっぽりと雲に覆われて見えず残念だった。

 途中 海老名のサービスエリアに寄った。前日に新装オープンしたとかで大変な混みようであった。2階建てになり、洗面所は自動でお湯が出る。贅沢なものだ。民放のアナウンサーなどが買い物客に取材をしているのを眺めたりした。デパ地下がそっくり引っ越してきたような感じだった。

2011年12月17日 (土)

(412)連休

12 12月10日11日の連休は絶好の好天に恵まれた。気温は低く感じたが、暦の大雪も過ぎたことだし、時期としては適当なところではあるまいか。年賀状の準備も終わって何の用事も無いことから娘1号を呼び出して、女房と娘2号の4人で神宮外苑の銀杏の黄葉を見に行った。銀杏まつりとかが開かれていて人出が多かった。腹が減っては戦が出来ぬと、まづ明治記念館の中華レストランで腹ごしらえをしてから、ゆるゆると表参道まで散歩して帰って来た。

Ts3e0814 偶然だが娘3号もその日の夕方孫7号を連れて、そのあたりを歩いていたらしい。携帯で撮った写真を見せてもらった。その夜は快晴なので、皆既月食がゆっくり見られるとニュースで教えてくれたが、翌日シニア会の本番があるので早くねてしまった。次の皆既月食は3年後だそうだから、その時に見るとしよう。「誰だ それまで元気かい?」という奴は。

今年最後の本番は 田園都市線あざみ野駅近くにある高級老人ホームでの演奏会で、ピアノ独奏を挟んで2ステージ、「美空ひばり名曲集」5曲と「懐かしい日本の歌」5曲、予定したアンコール曲2曲を歌った。佐渡の演奏旅行で歌ってきた曲集なので、いくら忘れっぽい人達でも大丈夫、ほどほど満足に歌え、駅前の居酒屋での打ち上げは盛り上がり、戴いた交通費を使い果たし足を出した。自画自賛のメールを添付すると次の通り。「近来にない出来でした。」のタイトルで本文は「昨日はお疲れさまでした。聴き手が私達と同世代またはそれ以上となると、少々緊張致しましたが、良い演奏だったと思います。」

Photo セコムが経営する「コンフォートガーデンあざみ野」には1008年4月にも来て歌っている。その時の参加者も今回と同じ30名余りだったが、10名が入れ代わった。体調が悪かったり怪我をして参加出来ない人もいるが、中には亡くなった人もいる。3年半の間であったが、入居されている先輩が車椅子で控え室にお見えになって、「前回皆様がお見えになった時は、愛唱歌をご一緒に歌えましたが、今回は聴かせて戴きます。」とおっしゃられた。我々のような年配者には貴重な歳月なのだなと改めて思う。

その時 主催者から戴いたお礼の言葉が手許にあるので、ここに書き留めておく。褒め言葉を真に受けて、この時の評価が今回の再演に結びついたのかな と勝手に思っている。

 お礼の言葉 「本日は素晴らしい歌声をご披露戴き、誠に有難うございました。居住者の皆様からも『今までで一番素敵なコンサートだった』等々のお言葉を頂きました。我々も皆様のお声から前向きなエネルギーを頂きました。皆様の今後益々のご活躍を心よりお祈り致します。

2011年12月10日 (土)

(411)師走

 喪中のお知らせが届くような時期になってくると、風にはためく年賀状売出しの旗に何やら追っかけられるような気がしてくる。去年はウチが喪中だったので既製品の喪中葉書を使って楽をしたが、今年は例年通り手作りにしようと思い、色々と考える日が続いている。

T04 これは旧制の都立四中(現 戸山高)の4年の春、新宿の伊勢丹で撮った写真だから、今から63年も前になる。音楽班といった合唱団の同期生で、中央にいるO君が旧制の浦和高校に4年修了で合格し、別れることになったので記念に撮ったものだ。その後、歩む道はそれぞれ変わったが、機会あるごとに旧交を温めてきた。何時まで酒を飲んだり、ゴルフをしたり出来るかなぁと言っていたが、9月末に急逝してしまった。(402話)我儘でせっかちな男なので、誤解されている面もあったが、昔馴染みには得がたい友であった。

 お通夜の晩に同期の4人が顔を揃えたが、時間もないことから日を改めて偲ぶ会をしようと約して別れた。2か月が経って、先日小生宅に集まり、昔話に花を咲かせたが、盛り上がることもなく何となく淋しかった。小生も難病が発症したので他人事ではなく、余生の過ごし方を真剣に考えねばならないと思う年の瀬である。

Photo 発症した病気は20年ぐらい前に病名が付けられて、対症療法が確立していないし薬もないと聞くと、せめて毎晩の水薬りでも増やしてみるか?という気になる。東大病院で難病の肩書を戴き、地域の介護施設に出向いて、要介護の申請も済ませてきた。「こうなりゃぁ矢でも鉄砲でも持ってこい」 と開き直った感じだが、元気な内はまだオサラバしたくはない。写真は昔と同じ配置に並んで撮った。中央に亡くなったO君がいる筈だ。病名が決まったところでネットで調べてみるか と思ったが、怖いことが書いてあるに違いがないから、“知らぬが仏”を決め込んで未だに調べてない。浦島太郎の玉手箱のように蓋を開けたら白い煙がパッとでて、おしまいとなったのでは敵わない。

 区の保健所に難病指定の申請をすれば、医療費の補助や給付金も貰えるとあって、早速その手続きにも行ってみた。リハビリセンターもあって、理学療法士がそれぞれに合ったメニューで、リハビリの指導をしてくれるのだそうだ。それも自宅まで送り迎えをしてくれるとのこと、至れりつくせりである。近所にある介護施設でも運動の指導をしてくれるそうなので来週から通うつもりだ。筋肉の委縮を遅らせるために、適度の運動とマッサージが良いというので真面目に努めたいと思っている。「近所のお年寄りに会ったりして嫌だな」などとは言っていられなくなって、“こうなりゃぁ見栄も外聞もないや”と不貞腐れている。

 保健所からの帰りに九段下ビルの解体現場をみた。昭和の初めに俎板橋の神保町寄り北側に建てられた3階建ての西洋長屋風の建物で、威容を誇っていたが老朽化が激しく、遂に年内一杯で取り壊されるらしい。築八十数年ともなれば惜しまれつつも致し方ないか?というところだが、さて我が身となるとそうはいかない。 

2011年12月 3日 (土)

(410)音聴の秋

ハーモニーを聴きわけるために聴音という訓練がある。それをひっくり返して、Imgp0898jpg_1_2音楽に耳を傾ける表現に 音聴という熟語があるかどうか知らないが、この時期になると音楽会行きも忙しい。佐渡から帰ってきて21日が新日本フィルの定期演奏会、メッツマッハーの指揮でブラームスの交響曲1番を聴いた。このところ,この曲を2度聴く機会があったが、いい演奏ではなかったのでこの夜は満足できた。続いて22日は千代田区役所の1階区民ホール、翌23日は日経ホールで歌った。22日は福祉まつりの特ステ、23日は千代田区民合唱祭にご出演であった。演奏旅行で歌った曲なので演奏面での不安はなかったが、旅行の疲れか参加者が少なく、いい演奏が出来ず残念であった。やはりシニア会は数が頼りだ。

 翌週の10月29日土曜日に浜離宮朝日ホールで、岡村喬生の傘寿記念コンサートがあった。ピアノは作曲家として売出中の伊藤康英。開演前のアナウンスで「休憩なし」の断りがあったが、トークを交え2時間余りをぶっつづけで歌ったのには感心した。オペラのアリア4曲、日本の歌6曲、シューベルト3曲、カンツォーネ3曲という構成であった。

 プロの最後にヘンデルのアリア・オンブラマイフーを持ってきたが、彼が数十年前 帰国演奏会を東京文化会館大ホールで催した時、この曲から始めたと記憶しているので感慨深かった。終演後 築地の寿司岩に寄り、80歳になってもそうして歌える体力、気力は凄い!と、今後の活躍を祈ってカミサンと2人で乾杯した。早稲田グリーの同期生が元気だと、こちらも元気になれるような気がする。

Photo その翌週の11月2日(日)は蒲田の太田区民アプリコ大ホールで慶応義塾ワグネル・ソサイエティーOB合唱団の定期演奏会2011を聴いた。4ステージ構成で、第2ステージはOG合唱団の賛助出演であった。全ステージ暗譜演奏でその集中力は凄い。ステージによってオンステ者数にバラツキがあったが最多70名のOBが舞台にのった。だがこの団も平成卒は僅かに3名で、高齢化の波に洗われている。

 オペラ歌手として高名な平野忠彦氏が、男声合唱の名曲「月光とピエロ」を振ったが、独特の解釈で驚いた。違和感を持って歌っていた人もいたのではないかと思う。指揮者の命は神の声だから逆らえないが。

Photo_2 12日(土)13日(日)は連チャンだった。12日は渋谷区文化総合センター大和田「さくらホール」で第2回ラトビア音楽祭、13日はすみだトリフォニー大ホールで桜楓合唱団の第42回定期演奏会。そして25日と27日は何れもすみだトリフォニー大ホールで新日本フィルの名曲コンサートと男声合唱団 東京リーダータ―フェルの定期演奏会を聴きに行き11月が終わった。 

 12日のホールは来年のシニア会の定演で使う予定なので、音響を確かめる意味からも行かねばならぬ演奏会であった。「日本・ラトビア国交樹立90周年及び国交回復20周年記念 ラトビア音楽の集い」と仰々しいタイトルが付いていたが、主催者がラトビア共和国大使館・日本ラトビア音楽協会、後援 外務省・渋谷区とあれば致し方なかろう。事実 特命全権大使や区長の挨拶があった。昔、バルト三国へ演奏旅行に行った時に初めて触れたジンタルスの合唱を懐かしく思い出した。その日の夜はシニア会の練習があったので、打ち上げ会に誘われたが寄らずにまっすぐ帰って来た。

4103_2 桜楓合唱団は日本女子大のOG合唱団で日本有数の女声合唱団である。故木下 保氏の指導を受けた女子大生がOGになって結成以来、毎年1回定期に演奏会を開き42回を数えるに至った ということで、30歳から参加した人でも今年72歳となる。男と違い、結婚、子育てというハンデもあって、全ての期間継続して活動に参加できることが幸せかどうかは別問題にして、合唱団の求心力を今日まで持続し、毎年2千人から入るすみだトリフォニー大ホールで、定期に演奏会を開ける合唱団はそうざらにはない。稲門グリークラブも一頃まではそんな勢いもあったが、今日ではそんな元気もない。ワグネルにしても「定期演奏会2011」という表示にして、「毎年開くわけではありません」と言外に匂わせている。

 「演奏会の回数じゃないよレベルだよ」という声が聞こえてくるようだが、桜楓さんは委嘱作品の初演も多く、合唱界にも貢献している。とても敵わないとシャッポを脱ぐ。だが打ち上げ会は、例年立食で、だらだらと挨拶ばかり続き、くたびれるばかりで嫌だったが、参会者のお年頃に配慮したか、今年はビュッフェ形式に代わり、料理も豪華、しかもお値段が安いとあって、この面でも完敗であった。来年のシニア会定演をどうするか これから作戦を考えるとしよう。

2011年11月26日 (土)

(409)奥鬼怒

Photo_2 11月3日、浅草9時発のスペーシアに乗り、女房と娘2人をつれて奥鬼怒へ紅葉見物に出かけた。実を申せばこちらの方がお供で、旅行の段取りなどは娘が全部とってくれて、私達はくっついて行っただけだから、当然 勘定はこちらが全部引き受けた。

 鬼怒川や川治温泉には業者や町会の親睦旅行で何度も来ているが、そうした一泊旅行は、午後に出発するなり車中でビール、日本酒、おつまみが配られ、宿に着くと直ぐ風呂に入り、宴会となって、芸者さんと一騒ぎ。終わったら麻雀卓を囲むか、翌日ゴルフの場合は按摩さんにかかって直ぐ寝てしまい観光などはしたことがなかった。今回は真面目そのもの、行きの電車ではビールも飲まない。

Photo  初日の行程は先ず鬼怒川のライン下り。終わってからロープウエイで丸山山頂へ登り紅葉の山々を眺め、周辺を散策。路線バスで平家落人伝説の地として知られる湯西川温泉に着いた時は早や暮れかかっていた。翌朝 霧が晴れた山道を歩き、復元された平家の里を訪ね、落葉の匂い、踏みしめる感触、陽を浴びてきらきらと舞い落ちる木の葉に山の秋を味わった。紅葉の時期の休日なのに空いていたので、のんびり出来て良かった。来年は大河ドラマが「平清盛」だから混むだろう。

 その後、路線バスで川治温泉まで下って、その日の目玉、水陸両用車のよる川治ダムの見学に向かった。公道を走るバスがそのままダムに進入して遊覧船となる。その入水の瞬間が面白い。運転手さんは大型特殊の運転免許と船舶の操縦免許の両方を持っていなければならない。Photo_4

 「川治ダムは、洪水による下流河川のはんらんを防ぐための洪水調節、農業用水や都市用水の供給を目的につくられた国内で第4位の高さを誇る、アーチ式コンクリートダムです。今年も集中豪雨が何度もありましたし、渇水の時期もありました。また皆さんがお使いのカメラも水が無くては作れません。飲み水だけでなく、産業にもお役に立っているのです。」とダムの重要性を盛んに説いていた。発電用のダムではないが、昨今の異常気象を考えると、ガイドさんの話には説得力があった。

Photo_2 船 丘に昇る」 湯西川温泉駅に戻って次のバスが来るまで足湯につかり、龍王峡入口まで下って、最後の見物と220段の石段を降りて滝を眺め、川を眺めた。下れば登らなくてはならない。それは覚悟の上であったが、トシのせいか、病気のせいかバランスを取るのが厄介になって石段の下りは危ない。右側に手すりがあれば大丈夫だが、ジグザグに降りる道は手すりが谷側にあるから交互に代わる。左手が不自由になってしまったので、何度も支えてもらいながら歩いた。転ろげ落ちたら一大事だから、見栄も外聞もなく女房や娘にすがりついて歩く始末だった。「こんな具合じゃ熊野古道はもう歩けないな、いい時に行ってきたよ。」と女房に言った。写真は川下りの観光船をロープで川に降ろしているところ ローマの故事の逆だが 面白いので撮った。

 Photo 帰りのスペーシアは個室だった。4人がゆっくりとくつろげてビールも美味かった。上の娘2人だけがいい思いしたのでは肩身が狭かろうと、娘3号4号に「浅草へ来い」と電話をかけ、一緒に晩飯をたべることにした。定刻7時に御到着。娘1号と娘3号の孫3人が加わって6人がお出迎え。総勢10名様の団体になって、仲見世近くの釜めし屋で、留守番相手の報告会に花を咲かせた。

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