(435)奥の細道第8回ーその二
●行程
第2日 仙台ー竹駒稲荷神社ー二木の松ー陸奥国分寺ー青葉城跡ー仙台東照宮ー榴岡天満宮ー榴ヶ岡公園ー芭蕉の辻ー仙台(泊)◆宿泊施設 青葉の湯 ドーミーイン仙台ANNEX
◎本文
岩沼に宿る。
武隈の松にこそ目覚むる心地はすれ。根は土際より二木に分かれて、昔の姿うしなわずと知らる。まづ、能因法師思い出ず。往昔(そのかみ)、陸奥守にて下りし人、この木を伐りて名取川の橋杭にせられたる事などあればにや、「松はこのたび跡もなし」とは詠みたり。代々、あるは伐り、あるいは植継ぎなどせしと聞くに、今はた千歳の形ととのほひて、めでたき松のけしきになん侍りし。
「武隈の松みせ申せ遅桜」と挙白という者の餞別したりければ、
「桜より松は二木を三月越し」
青葉通りに面したホテルの食堂から外を眺める。陽を浴びた街路樹の若葉が美しい。職場に急ぐ人の姿を眺めながら、ゆっくりとコーヒーを飲む。佐藤宗幸の「青葉城恋歌」のメロディーが浮かんできたりして、ちょっぴり旅情を楽しむ。第2日も好天に恵まれたようだ。9時出発で まず京都の伏見、常陸(茨城)の笠間と並ぶ日本3稲荷として、多くの信仰を集めている竹駒神社へバスは向かった。参詣の後、徒歩で二木の松を見る。
本文にある通り“武隈の松”と呼ばれ、遠く平安時代から歌枕として親しまれ、植え継がれてきた松で、現在の松は7代目、文久2年(1862)に植えられたと伝えられている。勿論 芭蕉の句碑「桜より 松は二木を 三月越し」もある。能因法師は二度目の下向の折、武隈の松がないので、「武隈の松は このたび跡もなし ちとせを経てや我は来つらむ」(類字名所)と詠んだ。その故事を芭蕉は伝えている。
「岩沼に宿る。」と一行に章題の如く書いているが、実は泊っていない。前回の笠島でも「これより遙か右に見ゆる山際の里を…」と書いているけれど、曽良の日記には左と書かれているし、上の写真にある岩沼市教育委員会の説明板にもそのように書かれている。
名取川も歌枕で 「名取川 瀬々のむもれ木 あらはれば いかにせむとか あひ見染めけむ」(『古今和歌集』よみ人知らず)とあり、名取市と仙台市の境を流れている。
以前グりークラブの同期会で青森に遊び、津軽の黒石神社に詣でたことがあった。その時神主さんから「お参りの際は 何処から来た誰それと言わないと神様は判りませんから、お願いを叶えてあげられません。ですから、必ず姓名・住所を申し上げてからお願いをして下さい。それからお帰りになる時は、参道の中央を歩かないように。そこは神様がお歩きになるところです。」と教わった。
今回の旅行で、先週書いた道祖神社の神主さんも「このお宮は正一位を戴いている霊験あらたかな神様です。むかし藤原実方が乗った馬が暴れ、落馬がもとで死んだと言われていますが、実方はこの先を下馬もせず横切ろうとしたからです。」と言っていた。正一位はお稲荷さんだけかと思っていたが、先週掲げた鳥居の写真には確かに「正一位」と書いてある。この金曜日から日曜まで、わが町の氏神湯島天満宮の祭礼である。このブログが公開される頃、私は拝殿で頭を下げて祝詞を聴いていることだろう。
最後に少し講義を聞いてみよう。
お江戸出立の折、挙白が「遅桜の頃に、翁は武隈あたりを通られるだろうが、その時は武隈の松にご案内してくれよ」と餞別の句をくれた。江戸出立の桜の頃から待っていた松の二木を、三月越しにやっと見ることが出来た。(橘季通の古歌「武隈の松は二木を都人、いかがと問えば見きと答えん」を踏まえ、松と待つ、見と三月を懸けている) (この項続く)

























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